5/2エントリで紹介したアイケングリーンの論説について、Econospeakブログ*1でエバーグリーン州立大学のピーター・ドーマンが異議を唱えている。
ドーマンは、過去20年間に経済学の重要な理論的発展があり、それが今回の危機の理解に役立つこと、および、経済学者がカネに目がくらんで口をつぐんだ側面があること、についてはアイケングリーンに同意している。しかし同時に、理論にも問題があった、として、以下の2点を指摘している。
- (アイケングリーンが理論の成果の例として示した)エージェンシー問題にしろ行動経済学にしろ、あくまでも一般均衡理論に対するひねりとして提示された。しかもそのひねりが許されるのは一回までで、たとえば複数のそうした非伝統的なひねり、およびひねり同士の相乗効果といったものを盛り込むと、学会誌には掲載されなかった。その結果、60年代に確立した理論は、各器官はぼろぼろになっているにも関わらず、身体は進み続ける、という状態になっていた。
- (アイケングリーンが期待をかける)実証経済学は、確かにこれまで瞠目すべき成果を上げてきたが、ただ、一流誌にこれまで掲載されてきた実証研究は、その大部分が既存の理論のカリブレーションに過ぎなかった。カリブレーションができればそのモデルは実証面でも合格、というわけだ。実のところ、仮説が確かに正しいらしいときにのみ生き残るというリアルサイエンスでのデータによる臨界検証の考えは経済学に存在せず、実証経済学におけるp値での検定は、本来の意味での第一種の過誤の最小化とは似て非なるものである。その結果、経済学において実証志向が強まった後も、DSGEの跳梁に見られるように、悪しきモデルが跋扈し続けた。
上記の第一点は、昨日紹介したクイギンのアカロフ=シラーからの引用と同様のことを述べている。第二点は、かねてからマクロスキーが指摘している問題である。つまり、ここでドーマンが述べていることはある意味オーソドックスな経済学批判と言える。