ニューケインジアンは今や時代遅れ

岩本康志氏や土居丈朗氏のニューケインジアン理論礼賛に喧嘩を売るようなタイトルになってしまったが、オーストラリアの経済学者ジョン・クイギンそう書いているEconomist's Viewデロングまとめサイト経由)。


クイギンは今年に入ってから、「論破された/時代遅れになったドクトリン(Refuted economic doctrines)」シリーズというのを自分のブログで始めており、これがその7本目。ちなみにこれまでの6本は以下の通り。

  1. 効率的市場仮説(2009/01/02)
  2. 民営化(2009/01/03)
  3. 大平穏期(2009/01/05)
  4. 年金の個人運用(2009/01/23)
  5. 均霑理論(2009/02/01)
  6. 中央銀行の独立性(2009/03/13)


今回のエントリでクイギンは、アカロフとシラーの共著「アニマル・スピリット」を俎上に上げ、ニューケインジアン経済学の発展に多大な貢献をした二人が、今やその否認に転じた、と書いている。彼はその本から以下の文章を引用している。

The economics of the textbooks seeks to minimise as much as possible departures from pure economic motivation and from rationality. There is a good reason for doing so - and each of us has spent a good portion of his life writing in this tradition. The economics of Adam Smith is well understood. Explanations in terms of small deviations from Smith’s ideal system are thus clear, because they are posed within a framework that is already very well understood. But that does not mean that these small deviations from Smith’s system describe how the economy actually works
Our book marks a break with this tradition. In our view, economic theory should be derived not from the minimal deviations from the system of Adam Smith [needed to provide a plausible account of observed outcomes - JQ] but rather from the deviations that actually do occur and can be observed.

(拙訳)教科書の経済学は、純粋な経済学的動機と合理性からの逸脱を可能な限り最小限に留めようとする。それにはそれなりの理由があり、共著者はいずれもこの伝統に則って論文を書くことに生涯のかなりの部分を費やしてきた。アダム・スミスの経済学はかなり良く解明されている。従って、スミスの理想的な経済システムからの小さな逸脱という形で説明することは、既に解明が進んでいる枠組みの中で説明を提示することになるので、話が明確となる。しかし、そのことは、そのスミス・システムからの小さな逸脱が、経済が実際にどのように動くかを描写することを保証するものではない。
この本では、その伝統と決別している。我々の考えでは、経済理論はアダム・スミスのシステムからの最小限の(ジョン・クイギン注:観測された事象のもっともらしい説明に必要な)逸脱によってではなく、実際に発生し観測される逸脱によって導出されるべきなのだ。

今回の金融経済危機でニューケインジアン理論の欠点が明らかになった、とクイギンは指摘する。ケインジアン経済学者の今回の危機の分析や政策提言は、結局オールドケインジアンの経済学(ならびにミンスキー理論)に頼っている。そしてその批判者たちは、1930年代の反ケインズの議論を持ち出してきている、というのがクイギンの現状描写である。それに関連して、彼は、グレゴリー・クラーク*1の以下の言葉を引用する。

The debate about the bank bailout, and the stimulus package, has all revolved around issues that are entirely at the level of Econ 1. What is the multiplier from government spending? Does government spending crowd out private spending? How quickly can you increase government spending? If you got a A in college in Econ 1 you are an expert in this debate: fully an equal of Summers and Geithner.

The bailout debate has also been conducted in terms that would be quite familiar to economists in the 1920s and 1930s. There has essentially been no advance in our knowledge in 80 years.

Dismal scientists: how the crash is reshaping economics - The Atlantic

(拙訳)銀行救済や景気刺激策に関する議論はすべて、経済学入門的な問題を巡ってなされている。政府支出の乗数はいくらか? 政府支出は民間支出をクラウドアウトするか? 政府支出はどのくらい速く増やせるか? もし大学の経済学入門講座でAを取得したならば、あなたはこの議論のエキスパートだ。サマーズとガイトナーとタメを張れる。
また、救済に関する議論は、1920年代や30年代の経済学者に極めて馴染み深い用語でなされている。事実上、我々の知識に80年間進歩が無かったということだ。

これはここで引用したロバート・ワルドマンとほぼ同様の指摘である。


そもそもニューケインジアン理論は、新しい古典派からのケインズ経済学への防御として始まったものだが、どちらも今回の危機により基盤を崩されてしまったので、もはや防御的姿勢を取る必要はなくなった、改めて(新しい古典派の理論に囚われることなく)ケインズ経済学の再構築に取り組むべき、というのがクイギンの主張である。


なお、アカロフ=シラー本については、ベンジャミン・フリードマンも長い書評をThe New York Review of Booksに上げているひさまつさんEconomist's View経由。シラー単独著書「The Subprime Solution: How Today's Global Financial Crisis Happened, and What to Do About It」と合わせての書評)。そこでフリードマンは、アカロフ=シラーは現在の経済学に取って代わる体系を提示するには至っておらず、かつ政策提言についても何も語っていない、と留保しつつも*2、その現在の主流経済学への舌鋒鋭い審判、およびアニマル・スピリットへの着目は正しい、と述べている。

*1:追記:この人ではなくこの本の著者。

*2:これはARNさんの指摘に通じるものがある。