アラン・ブラインダーがNYTコラムで現在の状況を二正面作戦の戦争に喩えている(Economist's View経由)。
彼の比喩では、東部戦線は需要不足である。幸いにも、こちらについては政策当局者は何をすべきか知っており、巨額の財政支出と金融緩和により戦っている。あるいは今後もっと火力が必要になるかもしれないが、今やるべきことはやっている。
それに対し、西部戦線は様相が複雑である。まず信用不足の問題があるが、これについてはFRBがカネをジャブジャブ注ぎ込んでいるほか、TARPを使った銀行への資本注入をポールソンが昨秋ひねり出し、今またガイトナーが新たなプランを企図している。だが、実は銀行システムは問題の一部に過ぎず、モーゲージ担保証券に代表される影の銀行システムの問題がある。こちらについてはFRBが信用緩和という前例の無い方法で対応しているほか、政府の差し押さえ削減計画、および官民共同ファンドでの投資計画(いわゆるガイトナー・プラン)で対応しようとしている。
こうした対策に対するブラインダーの立場は、政府の計画は複雑な方向に走り勝ちな傾向があるので、細部に異論はあるが、戦争に勝つという究極の目的から考えれば支持する、というものである。
非常時には不愉快な手段も採らざるをえない。それは、巨額の財政支出やFRBがジャブジャブとカネを注ぎ込んでいることだけではなく、本来罰せられるべき人間が援助を受け、一部の投資家が火事場泥棒的に利益を上げることも含まれる。だが、二正面で共に勝利を上げることなくして戦争に勝つことはできないのだから、そうした問題は後回しにして、とにかく今は国が一丸となって戦争遂行に勤しむべき、というのがブラインダーの主張である。
この彼の主張は、ここで取り上げたカバレロの考え方に近いと言える。実際、カバレロは最近の論説でガイトナー・プランへの支持を表明したが、その論調も上のブラインダーと同様、枝葉にはこだわるべきではなく、全体の方向性が合っていれば良しとすべきではないか、というものである(Economist's View、マンキューブログ経由)。
対照的なのが、マンキューブログでカバレロと同時に紹介されているサックスの意見で、民間投資家にカモられる恐れがあるということでガイトナー・プランに反対している。これについてはクルーグマンも同調している*1。
そうした火事場泥棒的な状況も、コラテラル・ダメージとして目をつぶるべき、というのがブラインダーやカバレロの立場である。「コラテラル・ダメージ」というとシュワちゃんの映画が連想されるが、ブラインダーの論説で実際にこの言葉が使われている。映画つながりで言えば、「首が飛ぶっつうのに、髭の心配してどうするだ!」という七人の侍の台詞にも通じる立場である。
だが、先日のG20でのデモ騒ぎや、AIGのボーナスを巡る騒動を見ていると、そうした状況をこの先どこまで米英の一般市民が甘受できるか疑問ではある。