リーマン破綻が危機のきっかけではない?

という議論が少し前に米国で交わされていた。議論の発端はジョン・テイラーWSJ論説池田信夫氏まとめはこちら)。
この論説は、以前ここで紹介したFRB批判論文をベースにしているが、その中でテイラーは、3ヶ月物のLIBOR-OIS(Overnight Index Swap)スプレッド*1が跳ね上がったのは、9/15のリーマン破綻の後ではなく、9/23のポールソンとバーナンキの議会証言の後である、ということを指摘している。つまり、リーマン破綻ではなく、その後の財務省FRBの対応の拙さが明らかになった段階で危機が本格化した、というわけだ。LSEのWillem Buiterも、この議論に説得されたと書いて賛意を表明している。


テイラーのこの主張に対する反論は、プロの経済学者ではなく、コラムニストのジェームズ・スロウィッキー(「みんなの意見」は案外正しい」の著者)(クルーグマンブログ経由)と、FTのサム・ジョーンズEconomist's View経由)によってなされた。


スロウィッキーの反論の要旨は以下の通り。

  • テイラーの示した金利スプレッドを良く見ると、リーマン破綻前から上昇が始まり、AIG救済で少し下がったものの、その後また上昇し、結局7日間で倍になっている。これではリーマン破綻を市場がうまくこなしたとは言えないだろう。
  • リーマンの破綻後ただちにバランスシートの状況が明らかになったわけではない。債権者の損失の規模は徐々に明らかになっていった。
  • 曖昧な解釈を許す一枚のグラフに基づき、金融機関を破綻させても問題ない、という政策を進めるのはあまりにも危険なギャンブル。


もう一方のサム・ジョーンズは、データに基づきより緻密な反論をしている。

  • LIBORは、現実の市場の動きそのものというよりは、銀行がお互いにいくらで貸すだろうか、という推定を集計したものに過ぎない。従って、現実の動きに比べラグが生じる。というのは、各行が前日の値を参照しながら決めるという経路依存性があるし、高いレートを提示することによりリスクが高いことを自認して自らの首を絞めるのはどの銀行も避けたいところだからだ。
  • LIBORよりも現実の市場の動きを直截に表すのが銀行間の貸出動向。それはFRBにおける各銀行の準備預金を通じてなされるから、準備預金の動向を見ればよい。週次データによると、リーマン破綻後5日以内に準備預金は倍増した*2。つまり、リーマン破綻と同時に銀行間市場が崩壊すると各銀行が予期していた、ないし実際にその崩壊を経験していたことになる。LIBORの動きにラグが生じたのも、その崩壊により実際の銀行間取引が発生しなかったためかもしれない。
  • CP市場では9月15日を境に実際に電子的な取り付け騒ぎが発生した。銀行発行のCPから1週間で5000億ドルもの資金が逃げ出した。資産担保CPも同様の状況に陥った(銀行から資産担保CP発行者へのクレジットラインが干上がると思われ、CPから資金が逃げ出し、その結果発行者が銀行からのクレジットラインに頼る必要性がますます高まる、という悪循環に陥った)。
  • リーマン破綻が問題だったとしたら、このような混乱を避けるためのマネー市場への全般的な保証措置や流動性供給措置を同時並行的に実施すべきだったのに、しなかったことにあろう。1週間後のアナウンスではいかにも遅すぎた。
    また、ベア・スターンズの救済がもたらしたモラル・ハザードもまずかった。ベア・スターンズ救済の前に投資家は同社のCPへの投資を減らしていたのだが、リーマン破綻前には、どうせ政府が最後は救済するだろうと見込んで、リーマンのCPの持ち高を逆に増やしていたのである。


ちなみに、スロウィッキーの反論を紹介したクルーグマンは、以下のような反語的な喩え話でテイラーの主張を揶揄している。

Here’s mine: you’re looking at some building, and you hear the fire alarm go off, and smoke starts trickling out the windows. Then a lot of fire trucks and firemen arrive — and only after that do flames start shooting out the top of the building.

Clearly, the fire department turned a small problem into a crisis.

Irrelevant Lehman? - The New York Times

(拙訳)これが私の説明:建物を見ていたら、火災報知機が鳴り、窓から煙が昇り始めた。すると消防車や消防士が大勢駆けつけた――そしてその後に建物の屋上から炎が噴き出した。
明らかに、消防署は小さな問題を危機にしてしまったわけだ。


なお、テイラーのWSJ論説については、グリーンスパンも自ら反論しているマンキューブログ経由、池田信夫氏まとめはこちら)。ただし、反論の対象はリーマン云々ではなく、FRBが住宅バブルを招いたという箇所である。
グリーンスパンの反論の肝は、住宅価格は短期金利ではなく長期金利に連動するという点にある。彼によると、確かに、以前は短期金利モーゲージ金利の連動性は高かったが(1971-2002年の相関係数は0.85)、2002-2005年の期間ではその連動性は失われてしまった。これは、その期間の長期金利の低下がFRBの金融政策によるものではなく、別の要因によるものであることを示している(実際、2004年半ばに金融引き締めに転じても、長期金利は思ったように反応しなかった)。その別の要因とは、新興国の過剰貯蓄である。従って、FRBの金融政策に責めを負わせるのは筋違い、ということになる。
グリーンスパンはまた、2003-2005年の金融緩和期におけるFF金利は、テイラールールから導き出されるものに比べて低すぎた、というテイラーの批判に対し、テイラールールは一次近似としては有用かもしれないが、所詮は景気後退や金融危機を予測できないという欠陥を持つモデルに基づくものに過ぎない、と斬って捨てている。そして、フリードマンが2006年に、1987-2005年の金融政策はレベルが違うというより種類が違う、と言って褒めたことを引き合いに出して、自分の在任中の政策を自賛している。

*1:この指標についてのテイラーの説明を論文から引用しておく。
The OIS is a measure of what the markets expect the federal funds rate to be over the three-month period comparable to three month Libor. Subtracting OIS from Libor effectively controls for expectations effects which are a factor in all term loans, including three-month Libor. The difference between Libor and OIS is thus due to things other than interest rates expectations, such as risk and liquidity effects.

*2:cf. ここ。なお、ジョーンズのエントリのコメント欄にはH41を見ても該当する数字が分からなかったというコメントが付いているが、そちらのテーブルには載っていない。