谷深ければ山高し…か?・補足

一昨日のエントリのブコメで教えてもらったが、ryozo18さんがほぼ同時に同じテーマを取り上げていた。そこでクルーグマンこのエントリのタイトル「Root of Evil」を「悪意根」と訳しているのを見て、上手いと思った(単位根と語呂をきちんと合わせている)。


また、このryozo18さんの解説を読んでいて気づいたが、マンキュー=キャンベルの論文ではランダムウォークと単位根過程を特に区別せずに論じている。これについて、小生は以前苺に以下のようなことを書いたことがあったので、複雑な心境になった。

"Journal of Finance"を読んでいたときも、単位根検定が棄却できないからランダムウォークだ、と主張する論文を読んで愕然としたことがある。単位根検定とランダムウォーク検定を間違えてはいけない、というのは"The Econometrics of Financial Markets"の最初の方に書いてあるのに…。

http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/0755/742

このレスで言及したThe Econometrics of Financial Markets(邦訳はファイナンスのための計量分析)は、ほかならぬキャンベルの共著書である。該当箇所を以下に引用しておく*1

Because the εt's are allowed to be an arbitrary zero-mean stationary process under both the unit root null (2.7.1) and alternative hypothesis (2.7.2), the focus of the unit root test is not on the predictability of Xt, as it is under the random walk hypothesis. Even under the unit root null hypothesis (2.7.1), the increments of Xt may be predictable. Despite the fact that the random walk hypothesis are contained in the unit root null hypothesis, it is the permanent/temporary nature of shocks to Xt that concerns such tests. Indeed, since there are also nonrandom walk alternatives in the unit root null hypothesis, test of unit roots are clearly not designed to detect predictability, but are in fact insensitive to it by construction.


(文中の(2.7.1)式と(2.7.2)式は以下の通り)
 X_t=\mu+X_{t-1}+\epsilon_t                            (2.7.1)
 X_t-\mu t=\phi(X_{t-1}-\mu(t-1))+\epsilon_t\hspace{2mm},\hspace{26mm}\phi \in(-1,1)          (2.7.2)

まあ、上記の本が出たのは論文の10年後なので、論文執筆当時はそれほど両者の区別が問題になっていなかったのだろう(おそらくファイナンス分野に単位根検定の手法が応用されて株価の予測可能性が論じられるようになってから、両者の区別の必要性が高まったものと思われる)。また、マンキュー=キャンベルの論文も、GDPの予測可能性ではなくショックの持続性に焦点を当てているので、両者を峻別しなくても特に問題無いと言えば問題無いのかもしれない。


あと、ひさまつさんの拙エントリへのコメントで、Econbrowserのメンジー・チンがこの問題を取り上げていたことを教えてもらった*2。そこでチンは、以前書いた論文(エントリではNBERのリンクが張られているが、ぐぐってみるとワーキングペーパーがネット上で読めるideas経由))の以下の実証結果を示している。

  • 戦後の四半期データ(〜1994年)を使うと、単位根仮説とトレンド定常仮説のいずれも棄却できない。
  • 1869〜1994年の年次データを使うと、単位根仮説は棄却できるが、トレンド定常仮説は棄却できない。

今回、彼が1967年第1四半期から2008年第4四半期までのデータを使って検定結果をアップデートしてみたところ、今度は単位根仮説が棄却された一方、トレンド定常仮説は棄却できなかったとのことである(「その時の私の驚きを想像して欲しい」と書いている)。つまり、過去40年については米国GDPの対数値はトレンド定常性を示した、ということである。
ただ、この分析結果について、彼は以下の注記を加えている。

  • トレンド定常性を示したからといってショックが持続しないとは限らない。ショックが持続するゆえ、単位根過程で近似しても問題ないのかもしれない。
  • 分析期間の取り方によって結果は変わる。1947年第1四半期まで期間を遡及延長すると、単位根仮説は棄却できなくなる(その期間でもトレンド定常仮説はやはり棄却できない)。

さらに彼は、以下のタイムトレンド項を含む1階の自己回帰分析結果を示している(データは1967年第1四半期から2008年第4四半期までのGDP対数値)。
  yt = 0.424 + 0.0004time + 0.945yt-1
  Where Adj-R2 = 0.9995, SER = 0.008
この式からは、半減期*3は12.25四半期=3年強という結果が導かれる。
彼はまた、マンキューが批判的な検討対象としたCEAの図にも触れているが、これは元々はブッシュ政権の経済報告書に掲載されていたものであることにさりげなく言及している(ただし、マンキュー自身も2005年の大統領経済報告書に似たような図があったことを指摘している)。
エントリの最後では、期間中にトレンドが屈曲した可能性についても触れているが、その問題については深く追究しておらず、自身の別の論文へのリンクを示したに留まっている。ちなみにTime Series Analysis――ほかならぬEconbrowserのジェームズ・ハミルトンの著書――によると、トレンド定常過程でトレンドの屈曲があると、誤って単位根過程と検定してしまう可能性があるとのことである。

このエントリのコメント欄では、Steve Bloughという人がコメントしているが、それを受けてチンは本文にもう一つの注記を追加している。

  • 単位根を持つからといって、反動ないし平均回帰の要素が存在しないとは限らない。ARIMAモデルでの単位根の存在は、大きなマイナスの移動平均根があることを示すに過ぎない。単位根の有無は、有限時間におけるショックの持続性とはあまり関係が無い。

ちなみにTime Series Analysisでも、このBloughの論文を引用しつつ、この注記と同様のことを述べている。簡単に要約すると、上記の(2.7.2)式(トレンド定常過程)でφが十分1に近ければ、検定で(2.7.1)式(単位根過程)と誤認してしまう可能性があるが、その場合でもショックの持続性は似たようなものになるとの由。


チンのエントリのコメント欄でもう一つ目についたのが、Leigh Caldwellという人のコメントで、このテーマに関する自分のブログエントリへの誘導を図っている。そちらを見てみると、クルーグマンの言うように稼働率や失業率が元に戻るとしても、そもそも稼働能力が元に戻らないのではないか、という興味深い指摘がなされている(この点については、一昨日の拙エントリへのコメントで「どしろうと」さんが同様の指摘をしている)。
このCaldwellエントリのコメント欄を見ると、Nick Roweがその指摘を褒めている一方、Roweのブログのコメントの常連であるreason氏が、なぜ実際のデータを見ないのか、というやや批判的なコメントを寄せている。また、knzn氏は、いろんな要因が絡むので話がややこしいと断りつつ、人口ないし労働力の伸びは景気後退と独立なので、稼働能力は元に戻ると思う、とコメントしている。knzn氏は同時に、景気後退期間中は教育の機会コストが下がるので、人的資本の投資が高まっているのではないか、と楽観的なことを述べている。

個人的には、knzn氏の指摘は、日本にとって(逆の意味で)重要なポイントを突いていると思う。彼の説を日本のように人口が減少する国に適用すると、失われた×年(×にはお好きな数字をお入れください)を経ても、稼働能力は元に戻らないことになるからだ。日本では、名目GDPが500兆円近辺を、それこそ「根」付いたように定常過程ちっくにうろうろするという状態がこの15年続いてきたが、そうしてみると、この先もまだその状態が当分続くのだろうか…。
また、景気が悪いと大学ないし大学院に残ってより高度な教育を受ける人が多くなるのは事実だろうと思うが、日本の場合、低成長があまりにも長引いたので、そのようにせっかく高度化した人材も宝の持ち腐れになっているように思われる(最近は高学歴ワーキングプアなどという言葉まで出てきているし)。そうしてみると、日本の場合、やはり問題の根源は人口減にあるのだろうか…(そう言ってしまうと身も蓋もないが)。


なお、一昨日のエントリを書いた後に小生が思い出したのが、ここで引用されている嶋中雄二氏の言葉。

「山高ければ谷深し」は四段階をへてもとにもどってくるそうである。つぎに「谷深ければ山低し」となり、→「山低ければ谷浅し」→「谷浅ければ山高」となって、最初のサイクルにもどるそうだ。

この言葉が正しければ、クルーグマンの言うように「谷深ければ山高し」とは(少なくとも一足飛びには)ならないことになる。「谷深ければ山低し」となれば、マンキューの論の方が正しいことになろう。
ちなみに、ひさまつさんがエントリで紹介したmacroblogでも*4、David Altigがこの嶋中氏の“格言”と符合するようなことを述べている。

If we are right, the long run is indeed rosy, but the long run will only arrive after some significant and protracted headwinds abate. And that is not a picture that suggests a rapid bounce back to "normal" growth.
(拙訳)もし我々の考えが正しければ、長期的には楽観的になってよいだろうが、その長期というのは、強く長い逆風が収まった後にようやく訪れるものだろう*5。従って、「通常」の成長に急速に戻るとは考えにくい。

嶋中氏のように景気循環で経済を捉えようとする人たちは、メノコミストとかメノコメトリシャンとか言われて主流派には評判が必ずしも良くないが、実は傾聴の価値があるのかも知れない。

*1:[2015/4/29]引用部分の途中の抜け(「(2.7.1), the increments of・・・contained in the unit root null hypothesis,」 )に気付いたので追記。

*2:大物経済学者二人があれだけの立ち回りを演じれば、やはり当然ながらあちこちの注目を集めるようだ。

*3:0.945n=0.5となるn。n=log(0.5)/log(0.945)。(ぐぐってみると、たとえばこの論文に説明がある)

*4:小生の一昨日エントリも必読と紹介いただいた。ありがとうございます。

*5:この言葉は、見方によってはケインズが貨幣改革論で批判した経済学者の態度そのままのような気もするが。