コント:ポール君とグレッグ君(2009年第1.5弾)

昨日のエントリを書くためにマンキューブログを見ていて、1/27にマンキューがクルーグマンに噛み付いていたことに気づいた。この時はそれ以上の議論に発展しなかったので、拙ブログでも特に取り上げなかったが、今読み直してみると、今回の二人の衝突の伏線になっているようにも思われる。ということで、以下に紹介しておく(なお、時期的に2009年第二弾として紹介したこのやり取りの前なので、少し苦しいがタイトルを第1.5弾とさせて頂いた)。

ポール君
マクロ経済学の暗黒時代」という僕のエントリを取り上げたEconomist's Viewで、Mark Thomaが差出人の名前を明かさずに以下のメールの文章を引用しているが、これを書いたのは僕さ。

“自分のキャリアを均衡景気循環理論に捧げた経済学者たちは、自分の蓄えをバーニー・マドフに投資したのも同然のことをしたのに気づいたんではないだろうか。”

まあ、僕は自分が如才ない人間だと主張したことはないしね。
グレッグ君
ポール君があんなこと言っているけど、変な話だね。彼と僕は出身は似たようなものなんだけどね。二人ともMITでPhDを取得し、そこでマクロ経済学を身につけた。二人ともケインズ経済学の枠組み(つまりIS-LMモデルや何やら)というレンズを通して世界を見ている。しかし均衡景気循環理論家についての見方は随分違うみたいだ。

その違いは、研究者として歩んできた道のりの違いによるのかもしれないね。ポール君の研究の大部分は国際経済学に関するもので、そのキャリアにおいては、均衡景気循環理論を無視しても問題なかった。それに対し、僕は「ニューケインジアン経済学」に関して多くの仕事をしてきたが、それは、均衡景気循環理論家が指摘したケインズ経済学のモデルの欠陥を直そうとするものだった。多分その仕事が彼らの貢献についての認識を深めてくれて、かつ、ケインズ経済学の世界観の欠点についてもより良く理解するようになったのだと思う。僕が大学院レベルのマクロ経済学を教えるとき、必読リストに一番多く登場するのは、均衡マクロ経済学の父たるロバート・ルーカスなんだ。

僕の考えでは、ルーカスとエドプレスコットが作り出した知的枠組みは、現代マクロ経済学の学徒たちに真剣に受け止められるべきだと思う。二人ともノーベル賞を受けて当然だった。それに、彼らがノーベル賞賞金をバーニー・マドフに投資したとは思わないよ。