円安バブル論というバブル・補足メモ

1週間前のこのエントリには拙ブログとしてはかなりの反響を頂き、感謝している。コメント欄では銅鑼衣紋氏から過分なお褒めの言葉を頂いたほか、econ2009さんにも労働生産性による為替レートの実質化に関するご質問を頂いた。

その質問に答えているうちに、労働生産性による実質化についての説明をかなり端折っていたことに気づいた。生産性の概念をご存知の方には改めて言う必要もない話だが、一応ここで補足しておく。


労働生産性は、実質GDPを労働時間で割ったものである。すなわち、1労働時間当たりの付加価値を示す。
たとえば、労働生産性が以下のように推移した2つの国があったとしよう。

前年 今年
A国の労働生産性 1 1.3
B国の労働生産性 1 1.5

A国では、前年に比べ、同じ労働時間で1.3倍の価値の製品を生み出すことができるようになった。これは、価格競争力が1.3倍に上がったことを示すと言える。
それに対し、B国ではA国をさらに上回る1.5倍の価格競争力を手に入れた。従って、両国間の為替レートが不変の場合、B国は製品の価格競争面でA国に比べ(1.5÷1.3−1)×100≒15%だけ有利になったことになる。これは、B国の通貨が15%だけ減価して輸出が有利になったことに等しい。そうした考えで為替レートを調整したのが、前回エントリで提示した労働生産性でデフレートした実質為替レートである。


別の言い方をしてみよう。A国で労働生産性が1.3倍になったとは、労働時間で測った製品価値が(1÷1.3−1)×100≒23%だけ下落したことになる。同様に、B国では労働時間で測った製品価値が(1÷1.5−1)×100≒33%だけ下落したことになる。これを通常の為替レートの実質化に使われる物価指数に置き換えたものが、前回エントリで提示した実質為替レートにほかならない。こうした操作により、国内の需給要因といった要素が取り除かれたより純粋な実質為替レートが得られるのではないか、というのが前回エントリで述べた趣旨である。


だが、本当にそれでマクロ経済要因が綺麗に取り除かれたかと言うと、実はそうではない。そもそも労働生産性の計算に実質GDPが使われている以上、どうしてもそうした要因は入ってくることになる。特に、90年代半ば以降の日本のようにデフレを経験した国では、名目上の付加価値が足踏みしていたとしても、物価が下がれば実質GDPは上がり、従って労働生産性も上がったことになる。確かに、上の例のように労働時間当たりの付加価値が上がれば物価は下がるので、物価下落がそうした要因で引き起こされていたのあれば、労働生産性の上昇という結果も間違いでは無かろう。しかし、日本が苦しんだデフレがそうした要因によるものだったと信じる人が果たして何人いるだろうか? もちろん、そういう要因がまったく無かったとは言わないが、大部分は国内の需要不足によるものだったと考えるのが普通ではないか? また、たとえばここで示したように、輸入価格が高騰すれば、名目GDPの各項目のまったく額が変わらなくても実質GDPは上昇する(同時にGDPデフレータは下落する)が、それは日本の労働生産性の動向とは何の関係も無い。


前回のエントリで示した労働生産性による実質為替レートは、実質GDPをそのまま受け入れた労働生産性を使用しているので、物価下落がすべて生産性上昇によるものと仮定していることになる。そこで、今度は逆の極端な例として、物価下落はすべて生産性とは無関係という仮定のもとで生産性実質為替レートを計算しなおしてみた。具体的には、95年以降の日本について、GDPデフレータがマイナスになった年については労働生産性上昇率からその下落分を差し引き、その上で前回と同様の手順で生産性実質為替レートを算出した。結果は以下の通りである(前回のグラフに系列を追加する形で示す)。

また、実質化に使用した比率も前回のグラフに追加する形で示しておく。

これを見ると、そうした仮定のもとでは、90年代半ば以降の日本の生産性上昇率は米国に引き離されており、そのため実質ベースでの円高は実は一層進んでいたことが分かる。



[追記]
ブコメsheepmanさんが既に解説記事を書かれていたことを教えてもらった。多謝。そちらでは、生産性として製造業の値を使われているほか(cf.通常、為替は国全体の生産性というよりは、貿易財の生産性で決まると言われている)、日米の時給の伸びも比較して、1980年から現在にかけての円高が、それらの要因で説明できる以上に進んだことを説明している。