自己批判しない経済学者たち

先日、有志各位の努力で邦訳が完成したアセモグル論文だが、少し前にNaked Capitalismで取り上げられていた。ただ、残念ながらあまり良い取り上げられ方ではなく、既成の経済学批判の対象の一つとして扱われている。

エントリを書いたイブ・スミス(Yves Smith)*1は、その中で、経済学者たちの今回の危機に対する自己反省の乏しさを槍玉に上げている。
彼女は、経済学者たちはこの問題について集団思考に囚われていた、というロバート・シラー説明に納得せず(テニュア=終身在職権を持っているのに何を恐れることがあるのか?+もしいち早く構造変化を予見したらむしろ地位を確立するのではないか?)、以下のような喩えを使ってその責任を追及する。

But if a doctor repeatedly deemed patients to be healthy that were soon found to have Stage Four cancer that was at least six years in the making, the doctor would be a likely candidate for a malpractice suit.
(6年掛かって形成された第4段階の腫瘍が見つかった患者について、健康だと言い続けた医者がいたとしたら、医療過誤で訴えられるだろう。)


また、彼女は、今年初めの米国経済学会(The American Economic Association)年次総会の状況を報告したブログ記事を引いて、カトリーナ級の失敗なのになぜそれに対する経済学界の内省が無いのか、と難じている。
次いで、最近出た危機関連の論文ということで、アセモグルの記事を俎上に載せる。

And one paper that did was released recently, "The Crisis of 2008: Structural Lessons for and from Economics," fell so far short of asking tough questions that it proves Madrik's point. The analysis is shallow and profession serving. And that is not to say the author, Daron Acemoglu, is writing in bad faith, but to indicate how deeply inculcated economists are.

アセモグル論文は厳しい問題を避け、学界向けの浅い分析に留まっている、と容赦なく批判している。そしてそれは、アセモグル個人の問題ではなく、経済学者全体の問題の表れだ、とも書いている。


続いて、アセモグルの以下の論点に批判を加えている。

  • (アセモグル)Great Moderation(過去20年間の景気循環がスムーズ化し、インフレが低く抑えられた時期)に危機の種が撒かれた。その時期に形成された相互関係により、小さなショックには強くなったが、大きなショックには弱くなった。
    • (スミス批判)Great Moderationの問題はもっと根が深い。この分析によれば、それは(政策目標としての)完全雇用からの撤退とそれに伴う低インフレ、資産インフレ、消費者信用の増加により生じた過渡的な現象に過ぎない。経済学者は未だにこの見解を受け入れていないようだが…。
  • (アセモグル)自由市場と規制なき市場とは違う
    • (スミス批判)自由市場の定義が不明。一種のニュースピークなので、この言葉は学界から追放すべき。
  • (アセモグル)強欲は経済理論上は善でも悪でもない
    • (スミス批判)強欲は野心とは違う。19世紀的に聞こえるかもしれないが、社会規範の果たすべき役割はある。規則と規制で縛ろうとすると、社会規範による統制よりはるかに高くつく。


上記のスミスの批判は、投資銀行関係者の割には、随分と左派っぽいな、という気がする。ただ、今般の危機について経済学者がまったく頬被りするわけにはいかない、という指摘には一考の余地があるだろう。

*1:自己紹介はこちら。最初の一文――「アイディアは書いた人ではなくそれ自体で評価されるべきだと思うが、読者が13歳か犬の言っていることを引用しているわけではない保証が欲しいのも分かる」――が面白い。
ミルケン研究所のところにも顔写真付きの紹介があるが、それによると住友銀行M&A部門にいたこともあるとの由。