フェルドシュタインとスティグリッツのタッグ

Economist's Viewで紹介されていたが、フェルドシュタイン、スティグリッツというそれぞれレーガンクリントン時代にCEA委員長を務めた大物経済学者が、揃ってチャーリー・ローズのインタビュー番組に登場していた(正確にはフェルドシュタインはワシントンからの中継だったが)。


二人とも、かなりの部分で意見の一致を見ており、フェルドシュタインが何か意見を述べた後に、スティグリッツが「マーティは正しい」と言った後に自分の意見を述べる、というパターンが繰り返されていた。ただ、語り口は対照的で、フェルドシュタインが冷静な口調を崩さなかったのに対し、スティグリッツは情熱的に早口でまくし立て、しばしばつっかえたりしていた。そういえばクルーグマンもそういう傾向があったが(本人も自分のトランスクリプトを読むのは嫌だと言っている)、スティグリッツの話術も彼と似たようなレベルなのね。


二人の主張のポイントはここでアーノルド・クリングがまとめているが、住宅保有者の救済と、財政刺激策、の2点である。


住宅保有者の救済については、減損分の債権放棄を債権者に求める点で二人の意見は一致しており、違いは、フェルドシュタインが政府の半額の負担を求めているのに対し、スティグリッツが原則債権者が負担すべき、としている点である。こうした住宅保有者救済も、(オバマ政権の財政刺激パッケージリストには含まれていないが)重要な財政刺激策である、という見解でも両者は一致している。


財政刺激策のうち減税については、スティグリッツが前向きの事業への支出を促す投資減税を訴えると同時に、償却減税は、過去の損失の影響を和らげるという点で銀行の別の形での救済になり、前向きの投資をもたらさないのではないか、と懸念していた(その点についてはフェルドシュタインは楽観的なようだった)。両者とも、昨年初めの減税のようなバラマキは貯蓄に回るだけで効果が乏しいという点では一致していた。また、財政支出については、地方政府への支出は必須という点で一致していた。
一方、オバマ財政刺激策の具体的な項目(教育、環境、インフラ、エネルギー)について、フェルドシュタインは範囲が狭すぎる、と批判した。とはいうものの、司会に対案はあるかと訊かれて彼が出したアイディアは、NIH(National Institutes of Health、国立衛生研究所)やNSF(National Science Foundation、米国科学財団)の研究への補助や、軍による失業した若者のトレーニングといったもので、それほどぱっとしたものではなかった(本人も雇用増にはつながらないと認めていた)。


こうした二人の見解にはクリングは反対している。彼は、財政刺激策をソンムの戦いになぞらえて、その無駄を批判する。正直、景気回復のための財政支出と戦争での若者の死を比較する彼のレトリックには感心しないが、ただ、以下の指摘は面白いと思った。

The arithmetic is mind-boggling. If 500 people have meaningful input, and the stimulus is almost $800 billion, then on average each person is responsible for taking more than $1.5 billion of our money and trying to spend it more wisely than we would spend it ourselves. I can imagine a wise technocrat taking $100,000 or perhaps even $1 million from American households and spending it more wisely than they would. But $1.5 billion? I do not believe that any human being knows so much that he or she can quickly and wisely allocate $1.5 billion.

(大意)8000億ドルの使途を決めるのに関わる人間はせいぜい500人だろう。すると一人では15億ドルの使途を決めるという計算になる。10万ドルや100万ドルならまだ分かるが、15億ドルの使い道を賢く素早く決定できる人間がいるとは思えない。

フェルドシュタインがオバマ政策を批判しておきながら説得的な対案を出せなかったことからも、このクリングの批判には一理あると言わざるを得ないだろう。


住宅問題と財政刺激策以外の論点では、フェルドシュタインが銀行の資本注入を時間の無駄だった、とにべも無く切り捨てたのも印象に残った(理由は、バランスシートの巨額さに比べ注入額はたかが知れていたから)。スティグリッツも同意した上で、配当や賞与の形で資金流出を許したことも問題だった、と述べている。


なお、インタビューの最後の方で、スティグリッツは、政府の努力にも関わらず短期的には状況が悪化することは避けられないが、それによって、各種政策は結局役に立たずに債務を増やしただけなので、もう政府は手を引いて市場に任せるべき、という意見が力を得るのではないか、という懸念を表明していた(上記のクリングは、まさにそうした意見を表明している)。


また、フェルドシュタインとスティグリッツが共に懸念していたのは、2年経過して財政刺激をやめた後、代わりに経済を支えるものがあるかどうか、という点。つまり、過去数年の好況は、消費者の貯蓄率がマイナスになるようなバブルに支えられていたものであるが、その代わりが出てくるのだろうか、という心配である。これは、kmoriさんが指摘したように、クルーグマンがかつて日本の財政政策の問題点として挙げた点(かつ、今回はなぜか触れようとしない点)である。
この点については、クルーグマンNYTコラムやブログ(ここここ)で称賛する冗談紙Onionが言うように、次のバブルを待つ、ということになるのだろうか…?