昨日のエントリで取り上げたジェームズ・ハミルトンの記事を、スティーブ・ワルドマンも興味深く読んだとのこと。
このワルドマンのエントリには、いつものように面白いことが何点か書かれているので、それらを簡単に紹介してみる。
- 安定性の追求は、時として逆効果になる。たとえば2001-2003年にはFRBはサーモスタットとしての役目を一休みして、野生動物が少し濡れるのを見ていた方が良かったかもしれない。そうすれば、野生動物も懲りて少しはおとなしくなり、今回、ここまで事態が深刻化することはなかったかもしれない。
- 負債サイドを見ると、準備預金の膨張が目立つ。準備預金に付利しているが、その金利の現在価値は、準備預金の額に等しい*1。つまり、準備預金への付利は、準備預金の額=8000億ドルの補助金を銀行に与えていることに等しい。これは、あれだけ大騒ぎした挙句に漸く認めたポールソンプラン=TARPの7000億ドルを超えている。しかも銀行はこれについては返済の義務が無い。ハミルトンは準備預金への付利を非生産的と評したが、同時に非道徳的でもある。
- 準備預金への付利はやめて、むしろ課税すべき。そうすれば銀行に準備預金を減らして貸し出しに回すインセンティブが生まれる。同時に、銀行はそのコストを預金者に回そうとするだろう。すると、人々は預金以外の手段で価値を貯蓄したがるようになる――投信、株、債券など。
- 一方で、グレシャムの法則が働き、人々は現金を保有したがる半面、預金をあまり持ちたがらなくなるという副作用も出るだろう。その結果、現金は専ら貯蔵手段となり、日々の取引の決済――キャンディバーの購入に至るまで――はなるべく電子的手段で済まそうとするようになるだろう。ただ、そうして電子マネーが貨幣取引の基盤となれば、マイナスの金利の導入がむしろ容易になり、流動性の罠はもはや足かせとはならなくなるだろう。
最後は、日本では深尾先生でお馴染みのマイナス金利の提案となっている。ただ、準備預金への課税だけで効果が得られるだろう、としている点は、かなり甘いと言わざるを得ない。準備預金への課税により、超過準備を追い出して市中に循環させよう、というところまでは良いが、その結果、預金に比べて現金への流動性選好が高まったとしたら、銀行の信用創造機能が弱まって流動性の罠が悪化こそすれ、回避することにはなり得ない。