国の指導者と官僚

以前のエントリで、一国の経済政策の成否は、トップの性格という属人的なところで決まる部分が大きいと思われるが、そのあたりについて研究があまり進んでいないようだ、という趣旨のことを書いた。


その後、こんな論文を見つけ、その方面の研究がまったくなされていないわけではないことを知った。著者は、今回クルーグマンとリクスバンク賞を共同受賞すべきだったとの呼び声の高いディキシット。


このディキシット論文「Predatory States and Failing States: An Agency Perspective」は、国の指導者を慈悲深い(benevolent)と略奪的(predatory)に分類し、その指導者と、実際に政策を遂行する官僚との間に生じるプリンシパルエージェンシー問題を扱っている。
ここで、国の体制(民主的か独裁的か)ではなく、国の指導者の性格で分類を行なったのが特徴的である。つまり、独裁国家であっても慈悲深い指導者を戴く、という、いわゆる開発独裁の可能性を認めているわけだ。


ディキシットは数学モデルを展開してそのプリンシパルエージェンシー問題を追究し、指導者の性格と、官僚のコスト体質といったパラメータ(下記参照)に関する指導者の情報との組み合わせが、政策遂行(ここでは公共財の提供を取り上げている)にどのような影響を与えるかを分析している。

  • 論文で使用されている主なパラメータ
    • 指導者の性格:慈悲深い(benevolent)/略奪的(predatory)の2通り
    • 官僚のコスト体質:γ=高い(γH)/低い(γL)の2通り
    • 官僚が市民をどれだけ気にかけるか:β
    • 公共政策の提供量:K
    • 人民から徴収する税金:F
    • そのうちの指導者への“上がり”:R
  • 各人の余剰
    • 市民の余剰:SC=K−(1/2)K2−(1+λC)F
    • 官僚の余剰:SB=F−(1+λB)R−(1/2)γK2
      • (1/2)K2、(1/2)γK2はコスト。 λC、λBは移転の過程で失われる死荷重。
  • 各人の効用
    • 官僚の効用  :UB=SB+βSC
    • 指導者の効用:UR=R+ρBB+ρCC

分析結果のまとめは以下の通り(第一節より引用)。

  1. 指導者が官僚の体質も行動もすべてお見通しならば(=完全情報の場合)、指導者の性格に関わらず、公共財の提供は効率的に遂行される。指導者が略奪的ならば、これは、オルソンのstationary bandit*1がoptimal Coasian的に行動するケース、ということになる。

  2. 指導者が官僚の体質は分からないが行動は把握できる場合、高コスト体質の官僚は公共財の提供量を引き下げる。その引き下げの程度は、慈悲深い指導者より略奪的な指導者の場合の方が大きい。また、略奪的な指導者の下では、その引き下げの程度、および高コスト官僚が得るレントは、官僚が市民をどれだけ気にかけるかに無関係である。慈悲深い指導者の下では、官僚が市民を気にかけるほど、公共財の提供量と官僚のレントが共に減るというパラドックスが生じる。ただし、その場合でも、官僚が市民を気にかけるほど指導者と市民の効用は高まる。

  3. 指導者が官僚の体質は分からず、行動のうち(1)市民から徴収する費用は把握できるが(2)市民に提供する公共財の量が把握できない場合、(これは現実に最も近いケースと思われる、)略奪的な指導者は市民を気にかけない官僚を、慈悲深い指導者は市民を気にかける官僚を選好する。前者では、官僚の市民に対する関心は自身のレントに無関係である。後者では、官僚が市民を気にかければかけるほど、市民・官僚・指導者の三者の効用が共に高まる。

  4. 指導者が官僚の体質は分からず、行動のうち(1)市民から徴収する費用は把握できないが(2)市民に提供する公共財の量が把握できる場合、やはり略奪的な指導者は市民を気にかけない官僚を、慈悲深い指導者は市民を気にかける官僚を選好する。後者ではNGO級の市民思いの官僚が求められる。

  5. 指導者が官僚の体質も行動もまったく把握できない場合(自分への上がりのみ把握できる場合)、やはり略奪的な指導者は市民を気にかけない官僚を、慈悲深い指導者は市民を気にかける官僚を選好し、後者ではNGO級の市民思いの官僚が求められる。


この分析からは、確かに指導者が略奪的であるほど市民に公共財が提供できず、失敗国家になる可能性が高まるが、同時にその行方は指導者の情報環境によっても左右される、という考察が得られる。個人的には、これは非常に興味深い結果のように思う。


論文の最後でディキシットも認めているように、まだ萌芽段階にある研究のようだが、こうした方向での研究が進展すれば、あるいは発展途上国の窮状を打破する重要なヒントが得られるかもしれない。そんな期待を抱かせてくれる研究である。
また、クルーグマンが昔志したという心理歴史学の成立には、こうした政治経済学の研究の発展は不可欠の要素のように思える。ということで、id:koiti_yanoさんのこの論文に関する感想を聞いてみたいところである。あと、現役官僚であるid:bewaadさんの感想も。


[2008/10/21追記]

ディキシットのHPでは、この論文のほか、「Democracy, Autocracy, and Bureaucracy」という論文も公開されている。実は両論文は内容的にはかなり共通している。ただ、前者は指導者の個性――特に失敗国家における――に焦点を当てているのに対し、後者では(前者ではわざと分析を控えた)民主制度と独裁制度の違いに焦点を当てている。後者の前文には、以下のような記述がある。

In this paper I use such an organizational perspective to examine a new bureaucracy-based reason for difference between democracy and authoritarianism. This is offered as an additional or complementary idea, not an alternative to the findings of previous research based on differences in the nature of the top rulers per se.

*1:オルソンのstationary banditとroving banditについては、Hicksianさんのこのエントリを参照。大雑把な喩えで言うと、「七人の侍」で村を襲う野武士がroving banditで、「ワイルドバンチ」で村に居座るマパッチ将軍一味がstationary bandit、というイメージになろうか。