金利引き上げと応用物理

一昨日のエントリでは、左派系と市場主義者の銀行の収益モデルに関する奇妙な意見の符合を取り上げた。実は両者は、そもそも金利引き上げを唱える点で意見が一致している。ただ、その裏のロジックはやはり異なっており、左派系は金利所得を通じて庶民を助けるといった温情主義に基づいているのに対し、市場主義者は不採算企業の退出を促すためという厳格主義によるものである。


市場主義者としては、有名ブロガーの池田信夫氏のほか、野口悠紀雄氏がそうした主張をしている。


また、少し毛色の変わったところでは、野口氏と日比谷高校時代からの盟友であり、金融工学における独自の研究で気を吐いている今野浩氏も、下記の本で金利引き上げを主張している*1

金融工学20年?20世紀エンジニアの冒険

金融工学20年?20世紀エンジニアの冒険


今野浩氏といっても馴染みのない方が多いかもしれないが、日本の金融工学を語る上では外せない人物である。上記の本は、日本独自の金融工学*2を打ち建てようとした著者の苦闘を飾らない語り口で伝えて、非常に面白く仕上がっている。小生は、ファイナンス理論のいわゆる主流派から白眼視されても、自分独自のアイディアを貫こうとする一匹狼的な今野氏の生き方に以前から敬服してきた*3
そのため、この本も大変興味深く読んだが、金利引き上げを主張する箇所を読んでorzとなった。氏の主張は、低金利で企業救済に使われたカネは、本来、預金金利引き上げという形で庶民に回すべきだった、という上記の左派系の主張そのままだったからだ。

そして、ファイナンスの分野での碩学が、どうして同じ経済学の別の分野でこんなナイーブな主張を平気でしてしまうのだろうか、と考え込まざるを得なかった。これが池田氏や野口氏のような市場主義に基づいているというのならまだ話は分かる。しかし、今野氏の主張は、それ以前の市井の左派系の床屋談義レベルに留まっている。前に、マクロ経済の専門家がファイナンス理論の基礎を知らないと嘆いたことがあったが、ファイナンスの専門家もマクロ経済に関して勉強不足、ということなのだろうか?


あるいは、今野氏も野口氏も、(そして小林慶一郎氏も)もともと経済とは畑違いのこの部門の出身ということも関係しているのだろうか? 若い頃に数理系で下手に頭を固めてしまうと、却ってマクロ経済学の真髄を理解しにくくなるのだろうか?
そこで思い出されるのがケインズの以下の言葉である。

量子力学の有名な創始者であるベルリンのプランク教授は、かつて私に、自分は若いころ経済学を研究しようと思ったが、それがあまりにもむずかしいものであることを知った、と語った! プランク教授ならば二、三日で数理経済学の全体系をやすやすと習得することができたであろう。彼がいったのは、そのことではなかった! そうではなく、最高の形態における経済学的解釈にとって必要な、論理と直観の混合ならびにその大部分が正確でない事実の広範な知識は、まったくたしかに、きわめて正確に認知しうるような比較的単純な事実の意味内容や先行条件を想像しかつその究極点にまで追求する力、という点に主な天分をもつ人々にとっては、非常に困難なことである。」
都留重人近代経済学の群像」社会思想社 現代教養文庫より)


(なお、以前、いちごBBSでこの言葉を紹介したら、それなりの反応があり、もっと分かりやすい訳を書いてくれた人もいた。ご興味があればこのスレを一読されたい。)

*1:ちなみに斎藤精一郎氏もこの2人と日比谷高校の同期とのこと。今野氏と斎藤氏は以下の共著もある。その共著に至った経緯は本文で紹介した今野氏の本に詳しい。

*2:今野氏は当初「理財工学」という言葉を発案し、東工大に作ったセンターも「理財工学研究センター」と名付けて、金融工学という言葉の使用を避けてきた。しかし、趨勢には逆らえず、上記の本や前著(下記)では金融工学をタイトルに持ってきている。ただ、上記の本でも述べているように、本人は相変わらず金融工学という言葉を嫌っており、現職の中央大学研究室も理財工学を冠している。

金融工学の挑戦―テクノコマース化するビジネス (中公新書)

金融工学の挑戦―テクノコマース化するビジネス (中公新書)

*3:尤も、氏の主流派批判に全面的に納得しているわけではないが。