預金金利引き上げと銀行の行動

米金融問題に気を取られている隙に、日本のブログ界隈では、民主党の枝野議員の発言が思ったより大きな波紋を広げていることを稲葉氏のブログエントリで知った(なお、稲葉氏には弊ブログを氏のはてなアンテナに加えていただいた。ありがたやありがたや)。枝野氏の発言とは、「朝まで生テレビ」におけるもので、貸出金利を抑えたまま預金金利を上げるべき、という主旨とのこと。

どうやらmojimoji氏が枝野議員の擁護に動いたことで話が盛り上がっているようだ。そのエントリを読んで、脊髄反射で以下のブコメを付けた。

預貸金利差で稼げなくなった銀行は、預貯金ビジネスから手を引き、より収益の高いビジネスに傾斜していくでしょう。…あれ?それって今金融危機で苦しんでいるどこかの国で既に起きたことのような…。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20081002/p2

mojimoji氏と「論争」しているBaatarism氏は、自ブログ、ならびにmojimoji氏ブログのコメント欄で、預金の受け入れ拒否と、それに伴う信用創造の阻害を心配している。だが、逆鞘が生じた金融機関は、むしろ、支出面よりも収入面で何とかしようとしてリスクの高い投資に走るのが古今東西の常である。そのあたりの話は、以前、クルーグマンが日本の不況脱出法を論じた有名な論文で説明している。山形氏の邦訳から該当部分を抜き出すと

でも銀行取り付け騒ぎがないなら、債務超過の可能性もあるような銀行はどう振る舞うと期待されるだろうか。貸し渋り、だろうか? 教科書的な答え(ちなみにこの答えは、アジアのエマージング経済の問題をめぐる議論で中心的な役割を果たしている――McKinnon and Pill (1997), Krugman(1998), Corsetti et al (1998) を参照) は、その正反対だ。債務超過、またはそれに近い銀行が、政府補償のおかげで預金を手放さずにいられるなら、それはリスクの高いプロジェクトに貸しすぎるインセンティブを作ってしまう。要するに「勝ったらオレの勝ち、負けたらツケは納税者」のゲームを遊ぶことになるわけだ。バブル以降の日本の金融機関はまさに、一斉取り締まりが始まる直前のアメリカのthriftと同じ状況にあると見ればいい。かれらの立場のモラルハザードが、貸し渋りではなく貸しすぎ傾向を作り出すわけだ。

80年代に預金金利の上昇に苦しんだS&Lは、そうしたリスクの高い借り手への過剰融資だけでなく、ジャンクボンドへの投資なども行なって収益を高めようとした。今回のサブプライムローン問題との類似性が取り沙汰される所以である。もし今、日本の銀行が収益面で逆鞘ないしそれに近い状況に追い込まれたら、やはり同様の動きをするだろう。


つまり、左派系の方々が良かれと思って推奨する方策が、期せずして、日本の金融機関はより収益性の高いビジネスに乗り出すべき、という池田氏をはじめとする市場主義的な主張の実現につながってしまうわけだ。その皮肉な状況が面白いと言えば面白い。




…と、ここまで書いたところで、上記のブコメにmojimoji氏からわざわざ応答をいただいたことに気づいた。

 えーとですね。「今金融危機で苦しんでいるどこかの国」みたいな国にしようとがんばってたのは、現与党の「名宰相」の秘蔵っ子大臣様ですよね。少なくともその論点について言えば、「自民も民主も同じくらいバカ」という話です。少なくとも、民主党叩きにはならないことは確認しておきたいと思います。

「自民も民主も同じくらいバカ」というのは、上記で「皮肉な状況」と書いたのと同じことを指していると思う。ただ、市場主義者が確信犯的にそれを目指している「バカ」なのに対し、民主党は意図せずしてその状況を生み出そうとしている「バカ」という点で、その上に「アホ」と「マヌケ」も付け加わるような気もする。

 あと、仮に、金融機関が「より収益の高いビジネス」に傾斜していくとしても、「有限責任で無限のリスクを取れる」という類の穴をちゃんとふさいでおくならば、「今金融危機で苦しんでいるどこかの国」みたいにはならない、少なくともそうなる可能性は下げられるはずです。だったら、金融機関が「より収益の高いビジネス」に傾斜していくのは、別に悪いことだとは限らないでしょう。

それが簡単にできれば金融当局も苦労はしないわな…。