シノプシス・岸信介の生涯

以前、映画が共通の趣味の友人と「自分が映画を撮るとしたらどんな題材を選ぶか」ということを投稿する内輪のBBSを立ち上げたことがある。今日は、そこから6年前に投稿したネタをこちらに転載する。

「昭和の妖怪」と言われた岸信介の生涯を、ゴッドファーザーみたく叙事詩風に3部作で映画化する。(投稿日:2002/1/10)

晩年の彼が私邸でくつろぎながら人生を振り返るシーンを冒頭とする回想形式とする。山口の実家で弟の佐藤栄作と遊ぶ幼年時代を皮切りに、岸家への養子入り、東大への進学、学生結婚した後商務省に入り、満州へ旅立つところまでが第一部(従って第一部は基本的に青春もの)。満州革新官僚として活躍し、帰国後東条内閣の商務相になるが、東条と対立して内閣を瓦解に追い込み、終戦後戦犯として巣鴨プリズンに収監されるが、晴れて無罪となって出所し、再び政治活動を始めるところまでが第二部。第三部は権謀術数を巡らして首相になった後に行う安保改定をクライマックスに持ってくる。安保改定成立後、暴漢に刺されて入院するシーンで画面が暗転し、第一部の冒頭の晩年のシーンに戻る。弟の佐藤栄作が首相になり、ノーベル賞を受賞し、死去する場面は、彼が私邸を離れて料亭へ向かうシーンにフラッシュバックで挟む。料亭で彼を待っていたのは田中角栄だった。必ずしも仲の良くなかった2人は、その席で意外にも打ち解けていく。話が佐藤栄作の思い出話に及んだ時、岸はふと遠くを見る目付きになる。再び幼年時代の岸と佐藤が遊ぶシーンに戻り、エンディング(このラストは黒澤の「まあだだよ」のパクリ)。

(良い悪いは別にして、これだけスケールが大きい人生を送った人は現代日本に他に居ないでしょう。上記のようにこの人の人生をそのまま辿っていくだけで、波瀾万丈の映画になりますな。私は以前からこの人に惹かれていて、中学一年の自由研究の題材に取り上げたりしておりました。ただ、二十年前にこんな映画の企画を立てたらそれだけで命の危険にさらされたかもしれないし、よしんばできたとしても黒澤の「悪い奴ほど良く眠る」みたく上映できなかったかもしれない。まあ、今でも下手に疑獄事件を突っついたら、遺族に裁判を起こされるでせうな…ていうかそもそも遺族が映画化を了承しないか。)


雑感(投稿日:2002/1/17)

岸についても、左派は(再転向前の)ダース・ベイダーみたいな悪の権化として捕らえているし、右派は国士として称賛しておりますが(文芸春秋の最新号で、福田和也という評論家が歴代総理の中で伊藤博文、山形有朋に次ぐ評点を付けていた)、真実はその中間、もしくはどちらでも無いのでせうな。前者の観点が強すぎると、山本薩夫がかつて疑獄事件を扱った映画で描いたような(あるいはオリバー・ストーンニクソンのような)やたらおどろおどろしいイメージになってしまうし、後者の観点が強すぎると鼻白む単なる礼賛映画になってしまうし。ただ、いすれにしろ、現在との関連でこの人の生涯を捕らえるのは難しいのかなという気も最近しています。

確かに、戦前、戦中、戦後に亘って日本の権力の中枢に君臨するという離れ業は怪物的ですが(昔私が惹かれたのも、子供がバルタン星人なんかの怪獣に惹かれる延長線上と言えなくもない)、その割にこの国に残した影響ってどうなのかな、と考えてしまう面が無くも無い。吉田茂の吉田ドクトリンは、江藤淳石原慎太郎福田和也といった連中がいくら罵ろうが、依然として日本に大きな影響を与え続けているのに、岸ドクトリンってあんま聞かないですよね。その一点で、実は岸は吉田に敗けているのかな、という気もいたしますです。

そもそも、岸派自体に彼の思想が受け継がれていないよね。タカ派の領袖ではありましたが、子飼いの部下だった福田赳夫はむしろハト派のイメージで、ダッカ事件の時の「人命は地球より重い」という対応は未だに保守系知識人のやり玉に上げられているくらいだし。あるいは、岸派の末裔である小泉純一郎構造改革は、まさしく岸の創り上げた国家による産業統制(いわゆる1940年体制)をぶち壊そうというものですな。それに対し、吉田ドクトリンは、田中角栄にまで影響を及ぼしているものね(文芸春秋の最新号に本宮ひろ志が書いていることによれば、かつて田中は彼に「安保もな、金出しゃアメリカが日本守ってくれるって言ってんだ。こっちゃあ、死人出さなくてすむ。金ですむんならそっちの方がいいんだよ」と語ったとの由)。

権謀術数に長けていたことは確かですが、それがリシュリューのように国益のためにバランス・オブ・パワーを作り出すといった外交面にまで昇華されることは無かったような気がする。戦後政治における民主主義の意味を明確に取り入れた上で、そうした昇華を行えば、あるいは吉田ドクトリンを超える思想哲学を生み出すことが可能だったかもしれない(彼の頭脳・経歴・政治力を以ってすれば、それは決して不可能ではなかったはず)。
また、経済面でも、彼の得意とする統制経済と、社会主義ケインズ主義との近親性と相違点を整理することはついぞ無かったような気がします(これについても、彼の頭脳と経験を以ってすれば、そんじょそこらの学者を超える洞察が得られたはず。そこをきちんとやっておけば、市場原理主義が優勢になった今のような時に、我々も恩恵を蒙ることができたかもしれない。少なくとも今のように彼の考えが見向きもされなくなるという事はなかったでせう)。そうした作業を怠って単なる反共爺さんに留まったことが、あるいは彼の最大の罪かもしれないとも思いますです。

そうしたことを踏まえて彼の生涯を映画化…できるわけないか。

(主演は佐藤藍子が男だったらあの耳で確定なのだが。エンディングテーマは宇多田ヒカルに書いてもらいたいなどと考えるけふこの頃。)


雑感の追記(投稿日:2002/1/21)

>エンディングテーマは宇多田ヒカルに書いてもらいたいなどと考えるけふこの頃。

このエンディングはただ真っ黒な画面にエンドロールを流していくのではなく、クレジットの背景に彼の死後の日本のいろんな映像を使いたいと考えています(もののけ姫より前の宮崎映画で“その後のエピソード”をエンドクレジットの背景に使っていたような感じで)。
具体的には、岸が樹立に尽力した政界の55年体制の崩壊を象徴する細川政権誕生のシーンとか、やはり岸の尽力により確立した経済の1940年体制の崩壊を象徴するシーン(一連の金融自由化の実施、およびその後の97年の金融恐慌、構造改革を唱える小泉内閣の登場)、など。

(なお、小泉内閣登場の伏線として、「小泉純也の息子が今度福田の秘書になったんだって?」(=1970年)、もしくは「小泉純也の息子が今度代議士になったんだって?」(=1972年[佐藤内閣の最後の年])というような会話を映画のラスト近くに入れておきたいな。)

あとは、宝塚歌劇のシーンも入れておきたいですね。なぜかというと、1941年初頭、“1940年体制”を確立した直後の岸が、時の大臣と対立して商工次官を辞めさせられるということがあったのですが、その大臣の小林一三という人が宝塚の創設者なので。(小林大臣が岸の家に押し掛けたが岸が面会せず、辞めろ辞めないの押し問答をメモ書きを通して行うという漫画みたいなこともあったらしい。結局岸が辞めさせられたが、その3ヶ月後、意趣返しに岸が政治力を駆使して逆に小林大臣を辞任に追い込んだとの由。)この対立は、統制経済の信奉者である岸と、自由主義経済の信奉者である小林一三の対立という側面が強かったようですが、後者の遺産である宝塚が今も健在ということで、現時点での自由主義経済の勝利を象徴させるということですな。ちなみに阪急の総帥だった小林一三は、東宝映画の創設者でもあるそうです。

逆に、日本の軍事的独立を目指した岸の考えに沿う動きとして、自衛隊の海外派遣のシーンも入れるかな。何だかんだ言っても、今の日米安保体制は岸の最大の功績ですからな。


さらに追記 (メール:2002/2/5)

こないだテレ朝の田原総一朗の番組で安保改定を取り上げていましたが、岸の再現シーンを見ながら、私ならこう撮るのになどと考えてしまいました。しかしいくら孫でも、安倍晋三じゃあ主役にはなりやせんな*1

*1:6年前なので安倍晋三が総理になるなどとは想像もしなかった(彼が北朝鮮訪問で一躍名を馳せるのはこの年の9月)。