民営化――ロシアとポーランド/ゴールドマンの分析

昨日のエントリでゴールドマンとサックスのロシア支援に関する意見の違いについて紹介した。そこで触れた記事の一つでは、Wedel女史がサックスに反論するに当たり、ポーランドの成功は改革の核心を拒否したため、というゴールドマンの分析を引用している。そこで本日のエントリでは、ネット上で読める記事2本を通じて、実際にゴールドマンがどのような分析をしたのかを見てみる。いずれの記事でも、ポーランドとの対比でロシアの改革の失敗について論じられている。

Lost Opportunity: Why Economic Reforms in Russia Have Not Worked

一つは、早くも1994年にゴールドマンがロシアの改革を失敗と断じた本「Lost Opportunity: Why Economic Reforms in Russia Have Not Worked」の書評である。評者は現ポーランド外相で最近ライス米国務長官とMD配備について合意したシコルスキ
ゴールドマンによれば、ロシアの改革は、反資本主義の文化、外国投資を嫌う大衆、契約や貯蓄の概念の無い官僚によって、土地の私有化を初めとする法整備が遅らせられ、時期を逸し、失敗したという。また、ショック療法が成功したと言われるポーランドとの比較で言えば、統制経済がはるかに徹底していたこと、ソ連崩壊の影響がポーランドにとってのコメコン崩壊の影響と比べものにならなかったこと、資本主義を覚えている世代が消滅していたこと(この点は9日エントリで紹介したガイダルも同様のことを述べている)、そして何よりも、ロシア人自身がタンカーとスピードボートの違いに譬える両国の人口や国土の規模の違いがあったという。
この書評で面白いのは、シコルスキの以下のゴールドマン評である。

多くの経済学者と異なり、ゴールドマンは、国民性、歴史的経緯、人間の過ち、といった統計化不可能だがしばしば決定的な要因となる重要かつ無形のものを論議に持ち込むことを恐れない。外国投資や地域での改革努力に関する成功や失敗のケーススタディも、非常に啓発的である。

つまり、以前のエントリで紹介した クルーグマン論文において指摘されたような、モデル構築はそれほど得意ではない、データ収集や粗いデータから普遍的なものを導き出す仕事をするタイプの開発経済学者のようだ(その点では、30日エントリで紹介した学者たちとは明らかに一線を画している。年齢も二回りくらい上のようだ[いい加減なwikipediaの記事では生年が書かれていないが、1951年ペンシルベニア大卒、奥さんは1931年生まれとなっている])。
また、シコルスキは、この書評の最後を時のクリントン政権高官への痛烈な批判で締めくくっている。

私は特にこの本をクリントン政権のロシア政策を統括する失言癖のあるストローブ・タルボットに勧めたい。この本に書かれた事実に照らして初めて我々は彼がロシア政府に「ショックを少なく、療法(セラピー)を多く」追求するように助言したことがもたらした損害を評価することができる。この助言がなされたのは、ロシア中央銀行が反改革派の議会の支配下で自棄気味に価値の低下した紙幣を刷り続けた時期なのだ。妙なことをまた言う前に、彼はこの優れた本をじっくり読み込むべきだ。「Lost Opportunity」は正しく状況を捉えているだけでなく、読みやすく、かつタイミングも絶妙だ。

このタルボットの発言は、ここで紹介した記事でも、サックスに対する米政府の反論として言及されている。なお、スティグリッツは、例の論文で、逆にこの発言を米政府が過ちを認めたものと評価するような記述をしている。
ロシア中央銀行が紙幣を刷り続けたことは、7日エントリで取り上げたサックス書評でも批判されている点である。昨日エントリで紹介したゴールドマンのカーネギー・カウンシルでの講演によると、サックスはその総裁ゲラシチェンコを「世界最悪のセントラルバンカー」と呼んだとの由。

ポーランドの民営化成功(?)

そして、こちらはゴールドマン自身が書いた記事である。
これによると、ポーランドの民営化が成功したのは、上記シコルスキ書評に紹介されているような資本主義受け入れの土壌が残っていたことのほか、思わぬ偶然の産物だったという。その偶然とは、当初はロシアと同様に急速な民営化を進めるつもりだったのが、政治的な紛糾により遅れ、その遅れの間に受け皿となるファンドが十分に育ったというものだ。もしこの遅れが無ければ、ロシアと同様、旧政権の官僚やマフィアが民営化後の企業支配者となっただろう、とゴールドマンは言う。
また、ゴールドマンは、担当したレヴァンドウスキ大臣による民営化の仕組みを成功の要因として高く評価する。その仕組みの中心になっているのはNIF(National Investment Funds)という一種の投信だが、それについてゴールドマンは詳しく解説しているので、その内容を箇条書きにまとめてみよう。

  • 全国民にバウチャーを20ズロチ(約6.20ドル)で買う権利が与えられた。各バウチャーはNIFの1株と交換できる。
  • 8441社の国営企業からNIFに割り当てる512社を選ぶ。
  • 512を15のNIFに割り当てる。しかし、均等に株主を分散すると、元の工場のオーナーが結局実権を握り続け、経営規律が働かない。そこで、512を34社ずつの15のグループに分け*1、各NIFにはあるグループに属する企業34社すべての主要株主(保有比率33%)になってもらう。どのグループをどのNIFが得るかは競争入札で決める。
  • 自分が主要株主にならなかった残り14グループの企業(478社)については、1.9%の株式を保有する。結局、各企業において、33+1.9×14で計60%の株式がNIF保有分となる。
  • 残り40%のうち15%は各社の雇用者に割り当てる。その残り25%は国が持ち続けるが、うち15%は社会基金や年金基金に委託する。
  • NIFは1997年6月12日にポーランド証券取引所に上場。これにより、NIFは事実上クローズド・エンドの投信として機能。ただし、NIFは自らの裁量で、各企業の株を追加で購入したり売却したりできる。
  • 33%の保有比率では単独では経営者の解任はできないが、経営規律を保たせることはできる。また、経営者の交代も他のNIFと共同すれば可能になる。
  • ポーランド人の資本市場での経験が不足していることに鑑み、各NIFのファンドマネージャには最低1社の外国投資銀行が入ることが義務付けられた。英国から9、米国から7、フランスから4、オーストリアから3、イタリア、香港、スイス、日本から各1社が参加した(日本の参加者は山一だったようだ)。
  • 各NIFを監督する監督委員会はポーランド人のみから構成。しかし、懸念されたNIFの外国投資銀行と監督委員会の衝突は2件に留まった。
  • スキャンダル、インサイダー取引、クローニー・キャピタリズム、資産の窃盗といった不祥事はほとんど発生しなかった。
  • NIFが稼動し始めた1995〜96年には既に約200万の新規ビジネスが立ち上がっており、512社は最初から競争市場の中に放り込まれることになった。つまり、資本市場がきちんと整備された状況でビジネスを始めることができた。

(なお、元の論文では表もあったようだが、findarticleでは表まではサポートしていないようだ。)


しかし、NIFについては、ゴールドマンの高評価と裏腹に、失敗という評も少なくないようだ(小見出しに「(?)」を付けたのはそのため)。
たとえば、コルナイ自伝の訳者盛田常夫氏のこの論文や、旧経済企画庁報告では芳しくない評価がされている。この記事によれば、レヴァンドウスキ自身が、政権が途中で彼の属する旧共産党系のSLD(民主左翼同盟)から連帯系のAWS(連帯選挙行動)に交代したせいで思ったほどうまくいかなかった、と語ったとのこと。


ゴールドマンは、続いて、ロシアの民営化の過程について書いている*2。ロシアの民営化は、チュバイスによって急ピッチで進められたが、それは、経済的な理由というより、共産主義時代への後戻りを恐れるという政治的な理由によってだった。いったん私有化してしまえば、それをまた国有化するのは株主の抵抗が大きく困難になる、というわけだ。
そうした中、ポーランドでレヴァンドウスキが懸念して対策した点、すなわち工場の支配者が引き続き実権を握り続けて経営規律が保てなくなる点は、軽視された。米国やIMFもチュバイスの民営化を後押しし、シュライファー等の経済学者も、仮に旧共産党幹部やマフィアが株主になったとしても、最終的には責任ある経営を求める他の株主によって駆逐されるだろう、という前提のもと、私有制の優位を主張した。しかし、その前提は、ロシアのように法制度や資本市場が成立していない国では、満たされることが望むべくも無いものだった。
結局、旧体制の監督機関が崩壊し、資本市場の監視制度が未だ樹立されないという空白の中で実施された私有制は、かつてブラックマーケットで暗躍していたような連中が表の場で堂々と政府の貴重な資産を買い叩く機会を与え、オリガルヒの支配する現在の状態が出現した。

*1:実際には34×13+35+35か、34×14+36になったものと思われる。

*2:このゴールドマンの解説のほか、日本語でネットで読めるものではたとえばここに詳しい。