地域通貨と一般理論

昨日のエントリでは「金融政策論議の争点―日銀批判とその反論」の書評を載せたが、その原稿は当初以下の一節を含んでいた(字数の関係で最終稿では泣く泣くカットした)。

なお、深尾氏は、実質金利を下げる最終手段として、現預金への課税(=事実上のマイナスの名目金利)を提案しているが、小宮氏も唯一この提案には一定の評価を与えている。ただし、言うまでもなくその政策は日銀の金融政策の範囲を超えている。

この「マイナスの名目金利」に関して、地域通貨ケインズの一般理論との絡みで以前自分なりにまとめたことがあったので今日はそれをアップしてみる。といっても、自立した文章として書いたのではなく、山形浩生さんが以前オンラインコラム(残念ながら現在はリンク切れ)で地域通貨について書いていたのを読んで、無謀にも本人にメールしたものである。
なお、2回に渡ってメールしたが、山形さんからはいずれもきちんと返事を頂いた(そちらはさすがにそのまま載せられないので割愛。ただし、2回目のメールの引用部はそのまま残した)。

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初めてお便りします。以前から山形さんの著作物を興味深く拝見させて頂いております。

2001/9/18のHotWired地域通貨に関する山形さんのやや否定的な記事を拝見して、少し意外な感じが致しました。というのは、偶然、私もつい最近「エンデの遺言」(NHK出版)という本を読んで地域通貨のことを知ったのですが、この中に紹介されているスタンプ通貨というのが、山形さんが1998/10/20に書かれた増税による需要回復をそのまま実現した成功例のように受け止められたからです。この本では、1930年代のオーストリアのヴェルグルという町で、スタンプ紙幣を導入した結果不況を脱出し、完全雇用を達成したという事例が紹介されています。スタンプ紙幣というのは税金を納めることによって減価を防ぐ紙幣のことですから、これはまさしく増税という形を取った調整インフレ政策の成功例のように私には読めました。

ご承知かもしれませんが、このスタンプ紙幣の考え方を提唱したゲゼルについては、かのケインズも「一般理論」で評価しています。ちなみに、「一般理論」でゲゼルについて書かれた文章の中には、

もちろん、スタンプ料金は適当な額に定めることができる。私の理論によると、この額は、貨幣利子率(スタンプのない場合の)が完全雇用と両立する新投資量に対応する資本の限界効率を超える超過分にほぼ等しいものにすべきである。
(塩野谷訳p.358)

という一節がありますが、これは

貯蓄と投資をマッチさせるために必要な短期の実質金利は、マイナスである可能性が大いにある。名目金利はマイナスにはなれないので、その国はインフレ期待が「必要」になる。
(「クルーグマン教授の経済入門」p.343)

というクルーグマン理論とまったく等価なことを言っているような気がします。

ベビーシッターのクーポン券のエピソードが経済が如何にして不況に陥るかの良い例であるならば、上記のヴェルグルのエピソードは経済が如何に人為的な貨幣減価によって不況を脱却するかの良い例であるような気がします。このことをクルーグマン教授がご存知かどうか、興味あるところです。

なお、山形さんが指摘される通り、地域通貨の話には確かに金利を罪悪と考えるような変なモラリズムがつきまとっており、エンデもそれに囚われていたと思われます。しかし、ゲゼルが金利についての説明に用いたエピソード(「エンデの遺言」に引用されています)は、ケインズ

彼の書いているロビンソン・クルーソーと一異国人との対話は、この点を証明する最も優れた−−従来書かれたこの種のもののどれにも劣らない−−経済的寓話である
(前掲書p.357)

と激賞したように、単なるモラリズムを超えた経済学的モデルの枠組みを示しているように思われます。(尤もこのすぐ後で、「流動性選好の考えを彼が見逃している」と続くのですが。…小野善康先生ならば「金持ち願望の考えを見逃している」と書くところでしょうね)

もちろん、実際にこれを現代日本のマクロレベルの不況脱出に適用するには課題があるというのは、これまた山形さんが指摘された通りかと思います。しかし、だからといって単純に捨て去るのはあまりにも惜しい気もします。たとえば、地域を限定したスタンプ紙幣の代わりに、デフレの著しい財に限定したスタンプ紙幣を発行するというのはどうでしょうか。悪評高かった地域振興券も、この考え方を使えばまた違った効果が得られたのではないでしょうか(ほんの思い付きですが)。

以上、浅学を省みず山形さんのコラムを見て思い付いたことを長々と書き連ねてしまいました。非礼をお詫びします。少しでも参考になる意見が含まれていましたら幸いです。


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お忙しい中、お返事ありがとうございました。

でも、多くの「地域通貨」はそこまでの仕組みを持っていません。ぼくの知る限りでは、ですが。

確かに今の地域通貨はそこまで考えられていないかもしれません。しかし、そもそもゲゼルが考えた地域通貨はそうした仕組みをインプリメントしたものであったこと、ならびに実際にその考え方に基づいて不況脱出に成功した実例があったこと、が前のメールで私の言いたかったことです。山形さんが「もしかしたらの可能性」と書かれたことが、70年前に実現していたというのはちょっと凄いことではないか、と個人的には考えました。

また、地域振興券が目減りするような仕組みになっていても、たぶん意味はなかったでしょう。短期的に現金のかわりに使われるだけですから。

確かに目減りするだけでは駄目で、その上でcirculateするようにする、すなわち結局はゲゼルの地域通貨と同じものにしなくては意味が無いですね。


ここでちょっと前回のメールへの補足をさせて下さい。

一つ山形さんのコラムを見て思ったのは、「パン屋のお金とばくちのお金」というのは、単なる情緒的な発言ではなく、「貨幣の保有動機には取引動機と投機的動機がある」という標準的な経済学理論(実際にはあと予備的動機があるわけですが)を平易な言葉で言い換えたものとも言えるのではないか、ということです。この考えでゲゼルの地域通貨(以下ゲゼル貨幣)を解釈しますと、ゲゼル貨幣では金利をスタンプないし持ち越し費用で消しますので、投機的動機による需要が発生せず、取引動機による需要のみ存在する通貨ということになります。そのため、この通貨では流動性の罠に陥る心配が無いわけです。だからこそ、ケインズも「一般理論」で

…貨幣に人為的な持越費用をつくり出すことによって救済策を求めようとする改革論者たちは、正しい軌道に乗っていたのであって、彼らの提案の実践的価値は考慮に値する
(第17章)

と書いたのだと思います。

さらに、山形さんは

人はいろんな工夫をしてものを発明する。そしてそれによって、生産力を高める。金利はそれを実現するための手助けを、お金を通じて行った見返りでもある。

と書かれています。「一般理論」の第17章では

だれでも知っているように、富の蓄積が抑制され、利子率がこれまで維持されてきたのは、人類の大部分が将来の満足よりも現在の満足を選んでいること、いいかえれば彼らが『待忍』を欲しないことによるのである。

というアルフレッド・マーシャルの見解を引用してますが、これは山形さんの意見と同じ事を述べているのだと思います。「待忍そのものに対する報酬が利子」(第14章)というわけです。
ところがケインズは、「私の意見は…(こ)のような古くからの見解とは異なっている」として、金利の説明として、かの有名な流動性選好仮説を主張しているのです。

第17章のケインズの理論展開は以下のような感じになっています。
貨幣の流動性プレミアムをl、貨幣の持ち越し費用をd(通常はゼロ)とすると、
  貨幣の自己利子率 = l-d (1)
となります。これは金利そのものです。
ちなみにケインズ

流動性」と「持越費用」とはともに程度の問題であること、そして「貨幣」の特質は後者に比して高い前者をもっている点に存在するにすぎない

と書いています。
それに対し、実物資産の収益率をq、実物資産の持ち越し費用をc、実物資産の貨幣で計った価値増加率(=インフレ率)をaとすると、
  実物資産の自己利子率 = q-c+a (2)
となります。 
均衡では、(1)と(2)は等しくなります。
しかし、何らかの原因(クルーグマン教授が日本について主張しているように、高齢化によりq-cがマイナスになるなど)で(1)が(2)を上回ると、人々の需要は貨幣に向かい、不均衡が発生します(正確には不完全雇用状態で均衡します)。lは常にプラスなので、その不均衡を止めるには、aを上げるか(調整インフレ!)、普段は存在しないdをプラスにするしかありません。後者の方法を取って、「貨幣が取引のためにのみ用いられ、価値貯蔵のためには用いられない場合」(第14章)を導き出す、すなわち「パン屋のお金だけを取り出」すのがゲゼル貨幣というわけです。こちらの方法の調整インフレ策と比べた長所は、期待インフレ率のような実体のよく分からないものに働きかけるのではなく、制度として直接インプリメントできる点にあるのかと思います。

一つ問題になるのは、そのような取引動機だけの対象になるゲゼル貨幣と、通常の機能フル装備の貨幣が共に存在する場合、果たしてゲゼル貨幣がその効果が発揮できるのか?という点です。「短期的に現金(=通常の貨幣)のかわりに使われるだけ」に終わるような気がするのは自然な考えです(ケインズも「もしスタンプ制度によって政府紙幣から流動性打歩が取り去られるとしたなら、一連の代用手段(中略)が相次いでそれにとって代わるであろう」(第23章)と書いています)。しかし、ヴェルグルの例は、その場合でもうまくいく例があったことを示しています。もちろん、ひょっとしたらそれは、山形さんのいわゆる情緒的な部分が働いて、皆が使おうというmoralisticな連帯意識を持ったがゆえに成功したに過ぎないのかも知れませんが。

以上、山形さんのコラムとお返事をきっかけに自分が調べたこと、考えたことをまた長々と書いてしまいました。また笑って読み流して頂ければ幸いです。


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