書評・金融政策論議の争点―日銀批判とその反論

7/20エントリでは、7/7エントリで紹介した本の書評の書きかけを載せた。それは某所に載せることを意識したものだったが、最終的にはそちらには以下の本の書評を出稿した。


今日はその書評をアップする(載せたのはごくマイナーな雑誌であるし、このブログはそれにさらに何重も輪を掛けてマイナーである上w、6年前のことなので、特に問題も無いだろう[と勝手に判断する])。


(しかしこれを書いた時は岩田氏が翌年日銀副総裁になるとは思わなかったし、さらにその後に白川氏が総裁になるとは想像もしなかったな…)
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小宮隆太郎日本経済研究センター編「金融政策論議の争点―日銀批判とその反論」(日本経済新聞社

 日本経済の低迷が続く中、90年代の終盤から日銀の金融政策に関する論争が盛んになり、関連する本も数多く出版された。この本もその一つであるが、本書の最大の特徴は、我が国経済学界の重鎮である小宮隆太郎氏が自ら音頭を取って企画、編集に当たり、日本の主要な経済学者から論文を集めている点にある。さらに、それら執筆者が実際に意見を闘わせる場を設け、その討論内容を収録したのも大きな特徴である。
 この論争においては、小宮氏は日銀支持派に回り、独特の辛口な表現で、日銀批判派(小宮氏によれば“日銀バッシャー”)に対し舌鋒鋭く批判を浴びせ掛けている。たとえば、財務大臣が日銀の長期国債の買い切り購入額増大を求めた件を取り上げて「衆愚的金融政策論議ここに極まれり」と断じ、岩田一政氏が本書で提示したデフレスパイラルのモデルについては、モデルの手法の欠点を指摘して、そうした手法は経済学から追放すべき、と言い切る。さらに、インフレターゲット論を“日銀への嫌がらせ”と一蹴し、量的金融緩和の効果が日銀の消極的な発言のせいで薄れたとする論議については“負け惜しみ”と切り捨てる。こうした思い切った表現は議論を過度に単純化する危険性も孕んでいるが、論点および小宮氏の立場を明らかにする上では効果的と言える。小宮氏のそれら歯切れ良い指摘に対し、日銀批判派がどう応じているか、その丁々発止のやり取りが、本書の読みどころである。批判派の中には、かつて日銀理論を厳しく批判した小宮氏が、今回は日銀を擁護する論陣を張っていることに戸惑いを隠せない人もいるのが興味深い。
 この本で一つの争点になっているのが、デフレをどの程度深刻に捉えるか、という点である。デフレを深刻に受け止める人は、実質金利が高止まりしていることを問題にする。名目金利から期待インフレ率を差し引いたものが実質金利なので、期待インフレ率がたとえばマイナス2%ならば、名目金利がゼロ以下に下がらない以上、実質金利が2%以下になることはない。経済には、需要と供給が均衡する金利水準(均衡実質金利や自然利子率と呼ばれる)が存在するとされるが、こうした人々の見解では、今の日本経済では実質金利がその均衡実質金利を上回っているため、総需要が総供給に比べ不足し、デフレが続き、期待インフレ率がマイナスになり、実質金利が高止まりする、という悪循環が生じている(前述の岩田一政氏のモデルもまさにその点を扱っている)。そうした状態を脱却するためには、人々の期待インフレ率を上昇させる手を打つべきであり、またそのための手段を日銀は持っている、というのが彼らの論点である。この点を最も明快に述べているのが日銀出身の深尾氏で、原価17円の紙切れの価値が上がり続けているデフレという現象に対し、金融政策に打つ手が無いというのはおかしい、と指摘している。それに対し小宮氏は、経済のファンダメンタルズが改善していないのに人々の予想に働きかけても効果が無いと論じた上で、2%程度の「趨勢的な実質利子率」以下のデフレは許容範囲ではないか、という認識を示している。一方、日銀エコノミストの白川氏は、現状は通常の金利水準であれば間違いなく政策金利を引き下げる状況にあると述べて、実質金利が均衡実質金利を上回っていることを暗に認めているものの、金利がゼロまで下がったという状況が日銀に与える制約の意味についてもっと考えてほしい、と訴える。
 名目金利が下限まで来た以上、金融政策の手段と効果は限られる、という日銀および小宮氏の議論には一定の説得力がある。しかし、それならば金融政策以外にどのような不況脱出の手段があるのか、という点になると、誰も明確な答えを持っていないのが実情であろう。小宮氏も「それがなかなか分からないのが現状」と率直に認めている。とはいうものの、「暴風雨の時期に、嵐が過ぎ去ればまた海が凪ぐ、ということしか言えないのであれば、経済学者は自らに安直かつ無益な仕事しか課していないことになる」というケインズの有名な警句にある通り、我慢していればいずれ日本経済も成長軌道に戻る、といった類の論は、経済学者の提言としてはあまりに無意味である。その意味で、本書のような経済学者による活発な政策論議が、金融政策に限らず経済政策全般について引き続き展開されていくことを期待したい。