マクロ経済学はどこまで進んだか/N. Gregory Mankiw

昨日のエントリにoptical_frogさんからはてなスターをいただいた。多謝。

昨日に引き続き、7/7エントリで紹介した本の内容まとめ。
今日はN. Gregory Mankiw。

N. Gregory Mankiw(1958-)

ニューケインジアンの代表的な学者

マクロ経済学の発展に影響を及ぼした論文・著作】

[過去25年間]ルーカスの著作。

【影響を受けた経済学者】

ルーカス、トービン、モジリアニ、フリードマン
ニューケインジアンの業績の多くは、ルーカスによるフリ−ドマン=トービンの考えの問題点の指摘に応え、その世界を再構築するという形でなされた。

ケインズおよびケインズの一般理論について】

古典派モデルとケインズモデルの違いは価格調整に関する仮定。一般理論の大きなテーマは、景気循環=市場の不完全性であるという点。政府の支出による経済安定という考えがケインジアンとは思わない。

ケインズが生きていたら第一回ノーベル賞を受賞していたか?+ノーベル賞関連】

それは疑いがない。

【一般理論に関する多くの論争について】

一般理論に関する多くの論争は、ケインズ自身が様々な考え方を持っていて、それが本に盛り込まれていることに起因しているのではないか。

新古典派総合について】

いわゆる新古典派総合は、1960年に構築されたフリードマン=トービンの世界にその源がある。新古典派総合は、経済は短期的には均衡水準から乖離した状態にあり、金融・財政政策は実物的な経済活動に重大な影響を及ぼす、という考えの上に成り立っている。新古典派総合はルーカスの言うほど欠点だらけではない、というのがニューケインジアンの立場。
[一般理論は古典派モデルの特別なケースであるという新古典派総合の考えをどう思うか、という質問に対し]古典派モデルとケインズモデルの違いは価格調整に関する仮定が伸縮的か硬直的かにある。

マネタリズムについて】

マネタリズムは貨幣供給の変化が総需要と所得を変化させる主な要因だ、という考えを持っている学派。総需要の変化は予期せぬ価格の変化によってもたらされるというルーカスの主張はマネタリズムの次の段階をなす。さらに最近はニュークラシカルの学者はリアル・ビジネス・サイクル理論に主張を集約させようとしているが、これはいわばマネタリズムのアンチテーゼ。

【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】

ニューケインジアンはニュークラシカルに対応して起こったもので、その意味では両者間の議論はとても有益。合理的期待仮説は、マクロ経済学の研究者にとっては役立つという意味では大切。一方、人々は、期待を抱いたときにむしろ非合理的な行動をすると考えられ、一様に合理的な行動をすると決め付けるのはおかしい。その意味では合理的期待仮説はそれほど大切な理論ではない。今は人々は合理的期待仮説が市場清算仮説の別な形に過ぎないということがわかったのではないか。合理的期待そのものには深い意味はない。
ニュークラシカルには二つの見解がある。一つはルーカスが主張した価格変動の理論であり、もう一つはリアル・ビジネス・サイクル論。後者の見解は予測されようとされまいと貨幣は問題にならない、というものだが、これは現実に照らしておかしい。多くの国々の深刻なディスインフレが一定期間の低生産性と高失業率を伴うというボールの1994年論文などの分析は、初期のニュークラシカル理論を擁護している。ボルカーがインフレと断固戦うと言った米国においても、インフレ予想に対する対策は景気後退が無くなるまで取られず、ディスインフレは予測がつきかねる出来事だった。

【ニューケインジアンについて】

ニューケインジアンの主な目的は、企業は価格をなぜ、どのようにして決定するのかを分析したり、またある時期に価格を調節したりするのかを理論化することにある。完全競争下の企業はプライス・テイカーだから、従って不完全競争はニューケインジアンの中心的な考え。実質的な硬直性と名目的な硬直性との間の補完性が、メニューコスト理論をはじめとするニューケインジアンの大きな業績。バロー等から景気循環を説明するにはメニューコストは小さ過ぎると批判されたが、まさに小さなメニューコストが相対的に高くつく景気循環を理解する上で重要な鍵を握っているというがこの考えのポイントで、企業による価格調整は外部効果を伴うことを示した。効率賃金仮説、インサイダー・アウトサイダー仮説も実質賃金の硬直性の説明のために出てきた。ヒステレシス仮説はそれほど重要とは思わないが、ヒステレシスの考え方が間違っていたら多くの理論が成立しないだろう。フリードマンとトービンがかつて論争したとき、FRBの重要性については意見が一致した。ニューケインジアンは、貨幣の非中立性をミクロレベルで立証し、その意味で伝統的なケインズ理論マネタリズムの両方を擁護した。ただ、実証的でないのがニューケインジアンの難点。ケインズ自身は予想しかねる人だったので、ニューケインジアンの考えをすべて受け入れたかどうかわからない。

【リアル・ビジネス・サイクル仮説について】

リアル・ビジネス・サイクル論は一時的に咲いて消滅した議論ではない。時間的ズレというのはこれからも大きな問題であり、この理論は過去20年間で政策分析をする上で最も大切な貢献の一つであった。彼らの起こした挑戦は貨幣は本当に中立的か、もしそうでなければなぜそうなのか、という問題。理論的には非常にエレガント。しかし貨幣政策の実質的な効果を分析しないで貨幣の中立性についてだけ議論を展開している。FRBの役割や、賃金・物価の硬直性といった現実世界の事実を無視している(彼らの主張する実質賃金の周期的な変化も実際には限られている)。技術の変化が景気循環をもたらすという考えはそれほど重要ではない。不況の時も景気回復に備えて労働者を確保するという労働の保蔵が生産性の周期的な変動をもたらすと主張するリアル・ビジネス・サイクル論は納得できる。

【成長理論について】

成長に関しては多くの理論モデルがあるが、以前ほど自信を持ってこのモデルが良いといえるものではない。技術進歩に関しては、ローマーと意見が違う。私は生活水準の国際的な格差は物的資本と人的資本の量的な差から生じると考えている。ローマーは国々に蓄積されている知識の差が重要になってくると主張している。

非自発的失業完全雇用

非自発的失業は存在する。ニューケインジアンのある部分は、なぜ非自発的失業は存在するのか、なぜ実質賃金は労働市場を均衡に導かないのか、などを説明するために労働市場のモデルを作り出すことを目的とした。私は完全雇用という言葉は使わない。なぜなら、労働市場に対して取られる政策によって、労働市場の状態は必ず変わってくるから。

【1970年代のオイルショックおよびスタグフレショーンについて】

不況は財政の規則を適用すべき偶発的な出来事。1973年以前、OPECが何を考えているのか、人々の胸をよぎることはなかった。今ではオイルショックなどを考えに入れた規則というものを設定することが必要になっている。

【自然失業率とNAIRU、およびフィリップス曲線について】

長期的には貨幣政策によっても何ら影響されない失業率=自然失業率はあると思うが、最低賃金、失業保険法、労働者の教育政策といった政策でそれを上下させることができる。

【経済政策について】

ニューケインジアンは、総供給についての理論構築、および価格の調整が緩やかである原因の解明を仕事とし、金融政策と財政政策のどちらが総需要に大きな影響を及ぼすか、という質問に対しては理論面では中立であり続けた。しかし、少なくとも米国では議会の行動があまりにも遅いということを考えると、大恐慌のような場合はともかく、経済を微調整する手段としての財政政策の有効性については私は懐疑的。金融政策の方がまだ有効的に効力を発揮するのではないか。
赤字財政は問題。それは短期のマクロ経済的な理由ではなく、長期のマクロ経済的な理由から。即ち、ケインズ・モデルではなく成長モデルの面から問題となる。というのは赤字財政→貯蓄減少→低成長という因果関係があるから。
財政の役割は規則にある。我々がすべきことは、何らかのショックに首尾よく対処するために必要な財政上の規則をまず作ること、そのために過去に様々なショックを経済が受けて、その都度経済が立ち直ってきたときに用いた規則を記録していくこと。

【経済学者間の意見の一致について】

ジョーン・ロビンソンの不完全競争の理論とケインズの一般理論の思想の一致にこれほど時間がかかったのは、ケインズミクロ経済学の基本をあまり重視しなかったため。ロビンソンは、ケインズ経済学と覇を競うために大変有効となったミクロ経済学をしっかりと確立した。ポスト・ケインジアンの研究者の間では不完全競争についての解釈がまちまちで、ニューケインジアンの経済学はポスト・ケインジアンよりも新古典派総合の線に近い考え方だという印象を持っている。
現在、あまりにも多く理論が混在しすぎているのは事実だが、研究者が意見の一致を見るまで、外からの力であれこれ言ってはいけない。ニューケインジアン理論とリアル・ビジネス・サイクル理論が融合して大きな力を発揮してくれれば良いのだが。

【マクロとミクロの関係】

[経済学者がマクロ経済学の問題で意見が異なることが多いが、ミクロ経済学の問題では意見の一致が見られるのはなぜか、という質問に対し]ミクロ経済学者は効用や利潤の最大化を意識の根底としているが、マクロ経済学は研究対象が一国全体と広範囲なため難しい問題を含んでいる。マクロ経済学では議論を展開しやすいように分析の際に単純化した仮定を設けるが、それが有効かどうかで意見の不一致が生じる。
生物は細胞の塊だが、生物を勉強する場合、細胞からではなく生物の組織から勉強を始める。同様に、マクロ経済学ミクロ経済学の上に成り立っているが、ミクロ経済学の積み重ねというわけではない。