トップジャーナルへの投稿実績にこだわる人が見逃していること

昨日紹介したコーエンのアセモグルインタビューの後半では、コーエンが幾つかのテーマを挙げ、それが過大評価されているか過小評価されているかをアセモグルに問い掛けている。以下はそこからの引用。

COWEN: Randomized control trials as a method for development economics.
ACEMOGLU: The way I would put it is that every tool is useful. You should not overuse and overemphasize any tool. If you think that randomized controlled trials are useless, that’s absolutely wrong. But if you think that they’re going to answer the majority of the questions in development economics, that’s even more wrong.
COWEN: Cross-country growth regressions — underrated or overrated?
ACEMOGLU: Same thing. I think they were hugely overrated. They have so many problems. But if I say they are overrated, I wouldn’t mean to say that you should not look at cross-country data. If your questions are about which countries develop and national development paths, which are just overwhelmingly important for lifting millions and billions of people out of poverty, you have to look at cross-country comparisons.
COWEN: Publishing in a top-five journal. There’s a current obsession with this —
ACEMOGLU: Overrated.
COWEN: — getting stronger. Why overrated? What’s your take?
ACEMOGLU: Well, I think economists have to appeal to a broader audience, and our science has to be solid. Publishing in the top five journals is a good discipline because it makes sure that we don’t slack off, we don’t do shoddy research and get the credit for it. But if it becomes an obsession, it is at the cost of communicating with the rest of the world. And that’s not healthy either.
Since at the moment, all of the incentives in academia and economics depend on publishing in the top five journals, I would say somewhat overrated because we should also value people who are able to reach a broader audience, think outside the box.
Sometimes fads really determine who can get published and what can get published in the top five journals. So if you have some big ideas and you’re looking at the data of the world in a different way, but your identification isn’t solid, you’re never going to get into a top-five journal. But we shouldn’t be discouraging that type of research.
(拙訳)

コーエン
開発経済学の手法としてのランダム化比較試験。
アセモグル
私に言わせれば、すべてのツールは有用です。ただ、どのツールも乱用したり、偏重したりしてはいけません。ランダム化比較試験が役に立たないと考えるのは完全に間違っています。しかしそれによって開発経済学の大半の問題への回答が得られると考えるのは、もっと間違っています。
コーエン
国の成長のクロスセクション回帰――これは過小評価されていますか、それとも過大評価されていますか?
アセモグル
これも同じ話です。かなり過大評価されていると私は思います。問題が数多くあるのです。ただし、その手法が過大評価されていると私が言っているのは、国同士のデータを比較するな、という意味ではありません。どの国が発展するか、国の発展経路はどのようなものか、という問題は、何百万、何十億という人を貧困から脱出させる上でとても重要な問題ですが、それがテーマならば国同士の比較を行う必要があります。
コーエン
五大誌に掲載されること*1。今はこのことへのこだわりが――
アセモグル
過大評価されています。
コーエン
強まっています。なぜ過大評価でしょうか? それについてのご意見をお聞かせください。
アセモグル
経済学者はより広範に人々に訴える必要があり、かつ、我々の科学は堅固なものである必要がある、と私は思います。五大誌に掲載されることは良い規律付けとなります。というのは、たるんだ仕事をしていない、いい加減な研究をしていない、ということが保証され、それを業績とすることができるからです。しかしそれが強迫観念にまでなると、学界以外の世界とのコミュニケーションが犠牲になります。それもまた健全なことではありません。
現在、学界や経済学でのインセンティブにおいて五大誌に掲載されることがすべてになっていますので、これはやや過大評価されている、と私は言いたいです。というのは、より幅広い聴衆に訴求できる人々、従来の枠に囚われずに考えられる人々もまた我々は評価する必要があるからです。
五大誌に掲載されるか否かは、時としてその時の流行りで決まってしまいます。何か素晴らしい考えを思い付いて世の中のデータをこれまでとは違った見方で見ているものの、その識別が堅固ではない場合、五大誌には決して掲載されません。しかしそうした種類の研究を阻喪させるべきではないのです。

*1:このテーマについてはこちらも参照。

コーエンのアセモグルへのインタビュー

ダロン・アセモグルがタイラー・コーエンのConversations with Tyler*1登場している(H/T コーエンMRエントリ)。そこでは、以下のアセモグルとジェームズ・ロビンソンの直近の共著書が話の軸になっている。

The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty

The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty

以下は前半部の概要。

  • 一人当たり所得を説明するのに地理的要因は良い枠組みではない*2。赤道からの距離との間に相関があるように見えるが、それは偶然で、現在の赤道近くの低所得国は欧州によって特定のやり方で植民地化された場所。あるいは欧州が最初に発展し、他の世界を植民地化した際に地理的要因が影響したかもしれないが、それは確かではない。
  • 現在、約120ヶ国の制度が植民地時代の経験に大きく影響された形で形成されており、その経験は国ごとにかなり違う。米国や豪州は、欧州の本国よりもむしろ良い制度を確立したが、それは植民者が良い制度を推進し、そのために戦ったからである。しかし、熱帯地域の大半では、欧州からの植民者は、以下の2つの相互に関連する理由によって、それとは全く異なる植民地政策を採った。
    1. 熱帯地域では、インカ帝国アステカ帝国ムガール帝国など、より文明が発達しており、人口も多かった。そのため、労働を管理し利用するという、アセモグル=ロビンソンが収奪的制度(extractive institutions)と呼ぶものを打ち立てた。
    2. 気候の条件や人口密度の高さのため、欧州人はあまり馴染みのない数多くの病気に直面し、死亡率も段違いに高くなった。そのため、米加豪のようにより良い制度を打ち立てようとするのは不可能だった。
  • (紀元前1500年と今日の一人当たり所得には強い相関があり、植民者の動きを考慮すれば特にそうである、というコミン=イースタリー=ゴング(Comin=Easterly=Gong)の有名な研究*3についてコーエンに訊かれて)話はもっと複雑。アセモグル=ロビンソン=サイモン・ジョンソンの論文「Reversal of Fortune」*4はまさにその点を扱っていた。事実として、1500年当時に繁栄していた地域は、現在は相対的に繁栄していない。もちろん、世界のすべての地域が工業化や技術の発展や貿易などによって良くなった以上、それらの地域も当時よりは裕福になってはいる。しかし、そうしたボリビア、ペルー、エクアドル、メキシコ、インド、パキスタンといった地域よりは、1500年当時は都市も道路網も余剰農産物も何も無かったチリ、アルゼンチン、米国、カナダといった地域の方が、現在は相対的に繁栄している。その説明としては、制度と文化の2つの大分類の要因が考えられる。人的資本については、教育という制度的要因のほか、文化的要因もあるため、その中間に位置付けられる。我々の行った数多くの定性的・定量的研究は、制度的要因をより支持している。例えば、人的資本の質は、欧州が米国、アルゼンチン、チリに連れてきたものよりは、インカ帝国アステカ帝国に連れてきたものの方が高かった。
  • (独立宣言に見られるように、欧州人が持ち込んだ思想が重要だったのでは、というコーエンのコメントに対し)欧州の思想が直接的に作用したというよりは、欧州の思想が現地の条件と相互作用したことが重要。植民会社はジェームズタウンもバルバドスやジャマイカと同様の形で支配したかったが、ジェームズタウンはイギリス本国のやり方に反抗するだけの政治的な力を付けていた。
  • ソ連は70年間ひどい制度だったが、現在のロシアの一人当たり所得は予想を上回っている。それは人的資本のお蔭ではないか、というコーエンの質問に対し)ロシアの一人当たり所得がもっているのは天然資源のお蔭もあるだろう。また、ソ連時代も、教育制度は特に数学や物理で優れていた。例えば、ソ連崩壊後にロシアから渡米した数学者は米国の数学者の職を奪ったが、それは彼らが実際に優秀だったからである。ロシアになってもその教育制度は維持されており、それが無くなればすべてが無に帰するだろう。実際、幾つかの共和国ではそうなった。
  • (ソローモデルに導入した人的資本の説明力の強さを示したマンキュー=ワイル=ローマー(Mankiw=Weil=Romer)論文*5についてコーエンに訊かれて)当時としては非常に重要な論文だったが、問題も多い。最も重要な問題は、除外変数バイアスを扱えない国同士の違いの回帰の枠組みであること。また、同研究が含意する人的資本の収益率は、ミンサー回帰のおよそ4-5倍になっている*6。ミンサー回帰によれば、学校教育が1年長ければ、米国では6%、発展途上国では8-9%程度収入が増加する。即ち、学校教育を3-4年*7伸ばせば一人当たりGDPが25-30%増えることになる。これは実際のGDPの格差に比べかなり小さな数字である。それに対し、マンキュー=ワイル=ローマーでは、3-4年の教育で一人当たりGDPが3-4倍になる。ただし、Pete KlenowやAndres Rodriguez-Clareなどの後続の研究を見ると、一様にもっと小さな数字が出ている。そこで問題になるのが、人的資本の外部性である。ミンサー回帰に見られる教育の自身の収入への効果に比べ、社会への効果はかなり大きいのではないだろうか? それは人的資本の外部性の話になるが、以下の2つの形態が考えられる。
    1. 局所的な外部性:自分が教育を受けることにより周囲の人々を富ます。
    2. 研究開発の外部性:自分が教育を受けることにより何かを発明し、それによって世界中の人々の生産性が上がる。
  • 局所的な外部性について、アセモグル自身もJoshua Angristとの共同研究などで調べたが、支持する実証結果を得ることはできなかった。それはある意味当然で、例えばマクドナルドの労働者の教育が2年伸びたからといって収益を3-4倍にする転換的な効果が得られるとは考えにくい。(アセモグルのトルコの大学からMITへの移籍のように、トップクラスの人の環境の変化による外部性はかなり大きいのではないか、というコーエンの反論に対し)確かにチーム造りは重要だが、それを外部性と呼んでよいかは疑問。企業でそれが起きれば、企業はそれを内部化し、そのように周りの人間の生産性を上げる人材に非常な高給を支払うだろう。それが賃金に反映されれば、ミンサー収益の範囲内になる。(ノードハウスの研究によると、イノベーターの大半は自身の発明がもたらした収益の2%程度しか得ていないので、ミンサーの賃金方程式は企業の利益をあまり捕捉していないのでは、というコーエンの再反論に対し)確かに超トップクラスのイノベーターには明らかな外部性がある。ただ、イノベーションによって既存の市場を他者から奪い取るという場合も少なからずあるので、ノードハウスの数字は極端ではないか。例えばグーグルの価値にはヤフーやアルタビスタなど他の検索エンジンの市場を奪った分も入っている。また、そういう例外的な1つか2つのイノベーションは、平均的な学校教育期間が10年から11年に伸びたこととはあまり関係ない。そもそもそうしたイノベーターが最も高度な教育を受けているとは限らず、米国で教育を受けていないこともある。米国の一つの強みは、ビジネス環境や制度環境、作れるチームの強さによってそうした才能を惹き付けることにある。
  • (民主主義は教育支出にあまり影響しない、というケイシー・マリガンらの研究についてコーエンに訊かれて)的外れな研究。こうした研究では、中国とスイスを比較するような意味の無い比較を行わないよう気を付ける必要がある。また、国が民主化する時は経済危機を伴う点も要注意。独裁政権が進んで市民に統治権を委譲することはなく、政権の崩壊によって民主化が実現する。そして、そうした崩壊は深刻な経済不況の最中に起きることが多い。以上の点に注意して研究を行うと、以下の2つの頑健な結果が得られる。
    1. 民主主義国は早く成長する。危機から抜け出るのに3-4年掛かるが、その後は急速に成長し、一人当たりGDPが20-25%増加する。
    2. 民主化すると税収が増え、教育や医療への支出が増加し、人々の健康状態が改善する。子供の死亡率が真っ先に改善し、初等教育中等教育の就学率もゆっくりながら着実に改善していく。
  • 今度の著書のテーマは、国家と社会の協業が重要ということ。人類の歴史の大部分ではそれが上手く行っておらず、国家無き無法社会か、社会の言うことに耳を貸さない圧政的な国家のいずれかだった。その間に、両者が協業する狭い道が存在する。その場合でも両者は喜んで協業する訳では無く、お互いより優位に立とうと競争し、赤の女王的な動学*8が生じる。そうした競争は、破壊的なものとならない限り、両者の能力を向上させる。その意味ではこれは制度理論であり、社会の政治参加を論じるという点で、規範や文化に関する理論である。ただ、国家と社会の協業と競争が両者を増強させるというのは、これまであまり注目されてこなかった考えであり、世界の解釈について新たな地平線を開くものなので、他の理論に簡単に包摂されるものでは無いと思われる。
  • 欧州でこの協業が例外的に上手く行ったのは、フランク人のボトムアップの政治参加制度と、ローマ帝国トップダウンの統治制度が融合したため。フランク人は教育が無かったため人的資本が乏しかったが、集会政治を規範化していた。(キリスト教が関わっているのでは、というコーエンの質問に対し)フランク人がキリスト教徒になったのは後のことで、国家建設のためだった。それに対し、彼らの集会政治の制度は実務的なもので、宗教は関係していない。また、ビザンチン帝国は西ローマ帝国より長く続き、ローマの制度の下でキリスト教が重要な位置を占めたが、そこでのキリスト教は抑圧的な役割しか果たさなかった。ポルトガルやスペインにおいても同様。イングランドでは逆に、サクソン人が持ち込んだ集会政治が重要な役割を果たしたが、キリスト教は二次的な役割しか果たさなかった。
  • 東アジアでは国家権力の伝統は中国の秦王朝に遡る。また、歴代王朝が採用した儒教が国家権力の一部として重要な役割を果たした。中国の伝統や制度は春秋戦国時代の政治の変化によって大きく変貌したが、そのことは、規範と制度の相互作用がそれらを形作る上で重要、という私の理論と整合的。
  • (「Why Nations Fail」では中国について悲観的だったが、その評価は変わっていないか、というコーエンの質問に対し)変わっていない。中国の成長は急速ではあったが、歴史上類を見ないものではない。自国のシステムの最も非効率的な部分を取り除くことによる成長という点では、19世紀のプロシアやロシアや1930-50年代のソ連の成長に似ている。現在、国家と社会の間の不均衡が見られるが、このことは、国家が社会を統制を強めるのと歩調を合わせて経済が成長していたことを意味している。特に習政権下では統制が強まった。多くの識者はこのことを予期していなかったが、この現象は「The Narrow Corridor」で我々が提示した枠組みと整合的である。
  • ただ、イノベーションとテクノロジーに取りつかれているという点で中国は例外的。他の独裁国家もテクノロジーを活用すべきということは理解しているが、独裁体制を維持しつつイノベーションを生み出すために社会を再編成する、ということをしようとはしていない。中国はそれをシステマティックに実施しようとしている最初の社会。中国共産党の独裁的支配を維持しつつ、デジタル技術、情報通信、AIでトップになろうとしており、そのために大量の資源を注ぎ込んでいる。それが成功するかどうかについては、完全な失敗に終わることは無いにしても、最も革新的なイノベーションに必要な個人主義を欠いているために大成功にもならない、というのが自分の見方。
  • 中国がこのまま民主化して狭い道に入り、非常に強力な市民社会制度を確立するとは思わない。国家を全く信用しない伝統がある場所に強力な国家制度を作ることはできない。国が違えば国家が何をするかという伝統も違うので、経済成長も異なるだろう。例えばベトナムは国家が生産や灌漑を整備するという伝統や制度が部分的にでもあったので、ミャンマーとはかなり違う。アフリカでは、国家制度の伝統が強力なルワンダブルンジエチオピアと、それが無きに等しいナイジェリアは異なる。こうした一般的な傾向を示すことはできるが、(コーエンが尋ねた、今後30年間アフリカで成長する国を挙げる、といった)特定の予測をするのは難しい。
  • (強気に見ている国を2,3挙げなくてはならない、と言われたらどこを挙げるか、というコーエンの質問に対し)中南米ではウルグアイとチリ。両国は、ボトムアップ政治が機能することと、トップダウンの国家制度、という2つに共に投資してきた。チリは経済的格差以上に社会的格差が大きく、それに起因する抗議活動や分配面での紛争も起きているが、ボトムアップトップダウンの組み合わせにより、多くの点でユニークな国になっている。ウルグアイにも深刻な紛争があるが、同様の挑戦を行っている。エチオピアも注目に値する。暴政に長らく苦しんできたが、他のアフリカ諸国より強力な国家制度を持っている。また、アビィ・アハメドボトムアップの要素を引き出そうとしている。そのほか、国ではなく都市単位というミクロで言えば、ラゴスも注目に値するため、著書で取り上げた。皆が無法地帯の例として持ち出すが、我々の枠組みから見てそこから抜け出す手掛かりとなるものも存在している。一部の政治家は国家の力と社会の統制の強化が必要だということを理解している。


この後の会話は、オルハン・パムクやトルコの政治などの個別の話題に移っている。

*1:本ブログでは昨年のクルーグマンの回を紹介したことがある。

*2:cf. サックスとの論争

*3:cf. ここ

*4:cf. ここ

*5:cf. ここ

*6:cf. ここ

*7:原文ではパーセントとなっているがここでは年の間違いとした。

*8:cf. 赤の女王仮説 - Wikipedia

雇用者への補助金の履歴効果

サエズのNBER論文をもう一丁。以下はEmmanuel Saez(UCバークレー)、Benjamin Schoefer(同)、David Seim(ストックホルム大)による表題のNBER論文(原題は「Hysteresis from Employer Subsidies」、ungated版)の要旨。

This paper uses administrative data to analyze a large and 8-year long employer payroll tax rate cut in Sweden for young workers aged 26 or less. First, we document that while active, the reform raised youth employment among the treated workers. The long-run effects are twice as large as the medium-run effects and likely driven by labor demand (as workers' take-home wages did not respond). Second, we document novel labor-demand-driven "hysteresis" from this policy – i.e. persistent employment effects even after the subsidy no longer applies – along two dimensions. Over the lifecycle, employment effects persist even after workers age out of eligibility. Two years after the repeal, employment remains elevated at the maximal reform level in the formerly subsidized ages. These hysteresis effects triple the direct employment effects of the reform. Discrimination against young workers in job posting fell during the reform and does not bounce back after repeal, potentially explaining our results.
(拙訳)
本稿は行政データを用いて、スウェーデンで26歳以下の若い労働者について大規模かつ8年に亘って実施された雇用者の給与減税を分析した。第一に、この制度の実施期間中に、対象となった若年雇用が上昇したことを我々は立証した。長期的効果は中期的効果の倍であり、(労働者の手取り賃金は反応しなかったことから)これは労働需要によってもたらされた可能性が高い。第二に、この政策による労働需要から新たにもたらされた「履歴効果」――補助金が交付されなくなった後も継続した雇用効果――を我々は二つの側面について立証した。ライフサイクル面では、雇用効果は労働者の年齢が受給資格を超えた後も継続した。また、制度廃止の2年後も、以前に補助対象となった年齢層の雇用は、制度による最大水準のままに高止まりした。これらの履歴効果は、制度の直接的な雇用効果を3倍増しにした。制度実施中には若年層に対して差別的な求職が減少し、廃止後も元に戻らなかったが、そのことが我々の得た結果の説明となる可能性がある。

ベバリッジ的失業率ギャップ

というNBER論文をサエズらが上げている。原題は「Beveridgean Unemployment Gap」で、著者はPascal Michaillat(ブラウン大)、Emmanuel Saez(UCバークレー)。以下はその要旨。

This paper measures the unemployment gap (the difference between actual and efficient unemployment rates) using the Beveridge curve (the negative relationship between unemployment and job vacancies). We express the unemployment gap as a function of current unemployment and vacancy rates, and three sufficient statistics: elasticity of the Beveridge curve, recruiting cost, and nonpecuniary value of unemployment. In the United States, we find that the efficient unemployment rate started around 3% in the 1950s, steadily climbed to almost 6% in the 1980s, fell just below 4% in the early 1990s, and remained at that level until 2019. These variations are caused by changes in the level and elasticity of the Beveridge curve. Hence, the US unemployment gap is almost always positive and highly countercyclical—indicating that the labor market tends to be inefficiently slack, especially in slumps.
(拙訳)
本稿は失業率ギャップ(実際の失業率と効率的失業率の差)をベバリッジ曲線(失業率と欠員率の間の負の関係)を用いて測定する。我々は失業率を現在の失業率と欠員率、および、ベバリッジ曲線の弾性値、人材募集の費用、失業の非金銭的価値、という3つの十分統計量の関数として表現する。米国では、効率的失業率は1950年代の3%近辺から1980年代の6%近くに徐々に上昇し、1990年代初めに4%弱に低下し、2019年に至るまでその水準で推移した、ということを我々は見い出した。こうした変動はベバリッジ曲線の水準と弾性値の変化によってもたらされた。従って、米国の失業率ギャップはほぼ常にプラスで、極めて反景気循環的であった。そのことは、とりわけ不況時に労働市場が非効率的な形で停滞していたことを示している。

意思決定に時間が掛かる時の合理的不注意

1年前にBenjamin Hébert(スタンフォード大)とマイケル・ウッドフォード(Michael Woodford、コロンビア大)のコンビによる合理的不注意のNBER論文を紹介したことがあったが、同じコンビが再び表題のNBER論文(原題は「Rational Inattention when Decisions Take Time」)を上げている。以下はその要旨。

Decisions take time, and the time taken to reach a decision is likely to be informative about the cost of more precise judgments. We formalize this insight in the context of a dynamic rational inattention (RI) model. Under standard conditions on the flow cost of information in our discrete-time model, we obtain a tractable model in the continuous-time limit. We next provide conditions under which the resulting belief dynamics resemble either diffusion processes or processes with large jumps. We then demonstrate that the state-contingent choice probabilities predicted by our model are identical to those predicted by a static RI model, providing a micro-foundation for such models. In the diffusion case, our model provides a normative foundation for a variant of the DDM models studied in mathematical psychology.
(拙訳)
意思決定には時間が掛かるが、決定までに掛かる時間は、より正確な判断を行うコストに関する情報を与えてくれる可能性が高い。我々はこの洞察を動学的合理的不注意モデルの文脈で定式化した。我々の離散時間モデルにおける情報のフローコストに関する標準的な条件の下で、連続時間の極限での解析可能なモデルを得ることができた。次に我々は、そこから導出される信念の動学が拡散プロセスもしくは大きな飛躍があるプロセスに類似する条件を求めた。その上で我々は、我々のモデルから予測される状態依存の選択確率は静学的な合理的不注意モデルの予測と同じであり、それらのモデルのミクロ的基礎付けを提供するものであることを示す。拡散ケースでは、我々のモデルは、数学心理学において研究されているDDMモデル*1の一種について規範的な基礎付けを与える。

*1:cf. ここ

外見が良いと成績も上がる

外見の経済的リターンについて研究しているハマーメッシュ*1が、「O Youth and Beauty: Children's Looks and Children's Cognitive Development」というNBER論文を上げている*2(本文も読める。著者はDaniel S. Hamermesh[バーナード大]、Rachel A. Gordon[イリノイ大]、Robert Crosnoe[テキサス大オースティン校])。以下はその要旨。

We use data from the 11 waves of the U.S. Study of Early Child Care and Youth Development 1991-2005, following children from ages 6 months through 15 years. Observers rated videos of them, obtaining measures of looks at each age. Given their family income, parents’ education, race/ethnicity and gender, being better-looking raised subsequent changes in measurements of objective learning outcomes. The gains imply a long-run impact on cognitive achievement of about 0.04 standard deviations per standard deviation of differences in looks. Similar estimates on changes in reading and arithmetic scores at ages 7, 11 and 16 in the U.K. National Child Development Survey 1958 cohort show larger effects. The extra gains persist when instrumenting children’s looks by their mother’s, and do not work through teachers’ differential treatment of better-looking children, any relation between looks and a child’s behavior, his/her victimization by bullies or self-confidence. Results from both data sets show that a substantial part of the economic returns to beauty result indirectly from its effects on educational attainment. A person whose looks are one standard deviation above average attains 0.4 years more schooling than an otherwise identical average-looking individual.
(拙訳)
我々は米国の「発達初期の保育と子どもの発達に関する研究」*3の1991-2005年の11回の調査データを用い、6ヶ月から15歳までの子供を追跡調査した。観測者は彼らのビデオを格付けし、各年齢における外見の指標を作成した。彼らの家計所得、両親の教育、人種/民族、性別を所与とした場合、外見が良いと、その後の学習の客観的な成果指標が上昇する。その利得が意味するところによれば、外見の1標準偏差の違いはおよそ0.04標準偏差だけ認知面での学業成果を長期的に引き上げる。英国の「幼児発達に関する調査」*4の1958年のコホートで7歳、11歳、16歳時点の読解と算数の成績の差について同様の推計を行ったところ、より大きな影響が見られた。こうした追加的な利得は、母親の外見を子供の外見の操作変数とした場合も維持され、教師が外見の良い子供を特別扱いすることや、外見と子供の行動の何らかの関係、子供がいじめの対象となること、もしくは自分への自信によるものではなかった。両データから得られた結果は、美からの経済的利得のかなりの部分は、教育的成果への影響から間接的にもたらされることを示している。外見が平均より1標準偏差良い人は、外見が平均である以外は同等の人に比べ、教育期間が0.4年長くなる。

*1:cf. ここ、下記の本。

美貌格差: 生まれつき不平等の経済学

美貌格差: 生まれつき不平等の経済学

*2:タイトルはジョン・チーヴァーこちらの短編を元にしている模様。

*3:cf. ここ日本語資料

*4:cf. National Child Development Study - Wikipedia日本語の紹介文献

換金可能なプラットフォーム通貨

というNBER論文をロゴフらが上げている。原題は「Redeemable Platform Currencies」で、著者はYang You(ハーバード大)、Kenneth S. Rogoff(同)。以下はその要旨。

Can massive online retailers such as Amazon and Alibaba issue digital tokens that potentially compete with bank debit accounts? We explore whether a large platform’s ability to guarantee value and liquidity by issuing prototype digital tokens for in-platform purchases constitutes a significant advantage that could potentially be leveraged into wider use. Our central finding is that unless introducing tradability creates a significant convenience yield, platforms can potentially earn higher revenues by making tokens non-tradable. The analysis suggests that if platforms have any comparative advantage in issuing tradable tokens, it comes from other factors.
(拙訳)
アマゾンやアリババのような大手オンライン小売業者が、銀行の引き落とし口座と競合する可能性のあるデジタルトークンを発行できるだろうか? 我々は、プラットフォーム内の購入用にプロトタイプのデジタルトークンを発行することを通じて価値と流動性を保証できる、という大手プラットフォームの能力が、より汎用的な利用に転じることを可能ならしめる顕著な優位性となるかどうかを研究した。我々の主要な発見は、取引を可能にすることで顕著なコンビニエンスイールドがもたらされない限り、プラットフォームはトークンを取引できないようにすることの方が収入が高くなる可能性がある、というものである。この分析結果は、プラットフォームが取引可能なトークンを発行することに何らかの比較優位を持つとすれば、それは別の要因による、ということを示している。